いけない。そう思った時には、体が動き出していた。




ハートの一味の動向を追っていたには、彼らがまた別の超新星の一味とともに、人間ではない何かに足止めを喰らっていることが分かっていた。しかし、その人間ではない何かの能力よりも完全に海賊達の数が勝っていたため、まず問題はないと感じていた。手早く相手を倒し、 大将が出てくる前に船まで逃げ切ることができれば、おそらく命は助かるだろう。

と、そのとき。聴き知った気配のハートのクルー2人と、何故か酷く衰弱した気配の者が1人、とてもスムーズに戦線を離脱し、逃走を始めたのが分かった。海賊勢の戦闘要員が一気に3人減ったことになるが、それでも充分軍配は海賊勢に上がっているのが一目瞭然だったので、の興味は自ずと、 逃走している3人へと向けられた。おそらく、衰弱している1人もハートの海賊団の一員なのだろう、他の2人にフォローされながら、順調に戦線から離れていっている。しかし、が今までに知った海賊団の中で、クルーが船長を置いて戦線離脱することが許される海賊団など見たことがなく、それが至極当然に行われたことが、 にはとても新鮮に映った。クルーの躾がなっていないのか、船長の采配なのか。おそらくは後者で、というのも、逃走しながらも2人の健康なクルーはしきりに戦況を気にしているような雰囲気だ。その様子に、は何となく、何か熱いものがこみ上げてきそうになるのを、ぐっと堪えていた。

が、それも束の間。数十kmは離れているだろう場所から、逃走する3人のいる場所、言い換えればがいる場所のほぼ真上辺りまで、ものすごい勢いでとてつもないエネルギーが一直線に飛んでくるのを、は感じた。気配だけで気圧されそうになるほどのエネルギーで、ソレの格の違いが身に染みて分かる。 海軍大将、黄猿がこちらへやって来ているのだ・と、咄嗟には判断した。
となれば、頭上の3人が危ない。黄猿は、おそらく3人にはまだ気付いていないが、明らかに黄猿の軌道上に3人がいるので、見つからないわけがない。更に言えば3人は悪名高いハートの海賊団のクルーであり、黄猿が見逃すような存在ではない上に、3人の力量では束になってかかっても黄猿には及ばないのが明白だった。 ローの方は、見つからないことが一番ではあるのだが、もし見つかっても超新星が3人はいるので、共闘すれば逃げ切ることぐらいはできるかもしれない。そこまで考えて、頭上の3人を助けに行くべきだ・と結論がついたのは、が墓地の通路を駆け上がりはじめてしばらく経った頃だった。


***



シャチは、今になってやっとジャンバールの衰弱ぶりに気がつき、早めに戦線を離脱しておいて良かった・と感じていた。何せ彼は巨体なので、戦いの最中に倒れられたりしたら、攻撃から庇ってやることも船まで運んでやることもできない。船長はそこまで見越して自分たちにジャンバールを託したのだと思うと、 いつものことではあるが、さすがウチの船長だ・と、シャチの胸は熱くなるのだった。


「次のGRに船が来てるはずだ!ジャンバール大丈夫か?もう少しだからな!」
「・・・すまないな・・・・・・」
「気にするな、お前はもうおれ達の仲間だ」


ペンギンが、シャチとは反対側から巨体を支えながら言う。あともうひと踏ん張りだ・と、全員が思った。

その瞬間。
3人の頭上をまばゆい光が駆け抜けたと思えば、そのあとを追うようにとてつもない気迫のようなものが3人を襲った。走る足が膝から崩れそうになりながら、ペンギンとシャチは嫌な予感に身を打ち震わせる。

―――黄猿か・・・!

シャチがそう察知して体制を立て直したその目の前に、いつの間にかその黄猿が立っていた。有り得ないそのスピードに、背筋が凍る。


「お〜〜、そのマーク、どこかで見たことがあるねぇ〜〜〜」


声が聴こえてやっと、ペンギンとジャンバールが黄猿の存在に気付いたようだった。長身を派手な色のストライプのスーツに包み、海軍お決まりのコートを肩から掛けているその男は、暢気な様子であごに手を当てながら、『さぁ〜て、どこで見たんだったか・・・・』などとぼやいている。その様子は素人目には隙だらけに見えるのだが、 シャチには全くそう思えなかった。一瞬でも逃げるなり攻撃するなりの動きを見せれば、その次の瞬間には自分が地面に伏しているような、目の前の男はそんな悪い想像しかさせれくれない。他の2人も同じように感じているのか、黄猿に対して構えてはいるものの、何もできず、じりじりと後退しているだけだった。


「おお〜〜!思い出したよォ〜〜〜、死の外科医のジョリーロジャーだねぇ〜〜!!!」


この時ばかりは、さすがのシャチも自分達の知名度を素直に喜べなかった。『となるとォ、見逃すわけにはいかないねぇ〜〜』と、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、黄猿は片足を上げて蹴りの体勢に入る。そのモーションに、通常の蹴りならばリーチの外に出れば避けられるとシャチ達3人は咄嗟に後ろへと飛んだが、 ヤルキマン・マングローブの根に阻まれて思うように下がれなかった上に、黄猿の足裏が異様に光っているのを見て、リーチの問題ではなくこれは避けようがない・と、シャチは絶望的にも直感した。

目の前が真っ白に光って、何も見えなくなる直前、シャチは何者かに足元を引っ張られ、妙な浮遊感に襲われた。

そして、大きな爆発音や爆風とともに、自分の体が背中から地面へ叩きつけられる感覚がして、シャチは思わず低く呻いた。がしかし、思ったほどの衝撃ではなく、爆風に煽られるまま転がったその勢いで立ち上がる。光に眩んで痛む目をこじ開けると、そこは、一転して真っ暗闇だった。
シャチは一瞬、自分の目がやられてしまったのかと思ったが、ふと隣を確認すれば、ふらふらとだが立ち上がっているジャンバールの影が確認できたので、やっぱり自分達が真っ暗闇の中にいると把握した。しかし、どこなのか分からない上に、黄猿も見当たらない。状況の判断に苦しんでいるシャチに、 一つ声が響いた。


「伏せてっ!!」


その声と同時にまたあの背筋が凍る感覚がして、シャチは言われるがままに伏せた。同様に、ジャンバールと、おそらくペンギンだろう影も伏せる。と、その向こう側に、小柄な人影が見えた。のだが、次の瞬間、まるで自分達のいる空間が大砲の嵐に見舞われているかのような、衝撃と地響きが襲ってきて、シャチは、 ぐらぐらと揺れる地面にただただ伏せていることしかできなくなった。




攻撃がやんだ後も、まだしばらく揺れが続いていて、それがどれだけの規模の攻撃だったのかを物語っていた。がしかし、身を起してみれば、これといった外傷もない。自分が傷ついていないどころか、自分がいるこの真っ暗闇の空間も、どうやら無傷のようで。黄猿のあの怒涛の攻撃から、この空間が守ってくれたのだろうか・と、 シャチは大まかに見当を付けた。隣でごそごそと人の動く気配がして、ぬっと巨体が持ち上がる。それを気遣うように、細く『大丈夫かジャンバール、あとシャチも』と訊くペンギンの声が聴こえた。暗闇の中なのでちゃんと確認はできないが、どうやら3人とも生きていることは生きているらしい。


「一応無事だけど・・・」
「しっ、静かに。まだ上に黄猿がいるようです」


ペンギンに応えかけたシャチを遮って、女の声がした。まだ黄猿がいると言われれば黙らざるを得ないものの、その正体不明の女の声に、シャチとペンギンの警戒心は高まる。そういえば、先程自分たちに伏せろと叫んだ声も、今の声と同じ色だった。その声の主がどうやら自分達を黄猿から救ってくれたらしいことは、 何となく把握できてきたが、この諸島で自分達を助けてくれるような輩に女の心当たりはない。更に言えば、あの黄猿の攻撃を退けられるほどの能力の持ち主など、男女にかかわらず、シャチもペンギンも見たことがなかった。


「・・・・・・行ったようですね。安心してください、貴方達の船長さんがいる方角には行かなかったみたい」


女の言葉にホッと胸を撫で下ろしたい気持ちは山々で、助けてもらったことにも一応恩義を感じてはいるのだが、妙に警戒心が高まっているシャチはここで両手離しに喜ぶことはできなかった。女の方も、警戒されているのが分かっているらしく、距離を置いたまま近寄ろうとはしてこない。
相変わらず辺りは暗闇で、ここがどういう場で、どこに出口があるのかすら分からない。闇雲に行動することもできないので、選択肢としては、必然的に何故か一番状況を把握しているらしい女に頼るしかない。歯痒く、不安ではあるが、シャチはとりあえず女に歩み寄ることに決めた。


***



自分に向って警戒心を剥き出しにしている人間に、わざわざ姿を見せてやるほど、は親切ではなかった。がしかし、相手が自分を警戒する理由も良く分かるので、は、さてどう身を振ろうか・と考える。というのも、彼らを助けなければと思って実際助けたまではよかったのだが、その後のことはあまり考えていなかったのだ。 海軍から海賊を助ける謎の女、なんて、自分で客観的に見ても気味が悪すぎる。このまま無言で立ち去るか、それともどうにかして経緯を説明しようか・などと考えていると、向こうからは説明を促す声が飛んできて、それが道理だわ・と苦笑せざるを得なかった。


「助けてもらったことには礼を言う。が・・・アンタ一体何者だ」
「・・・私は、数日前、貴方達の船長様にお世話になった身です。今回は、船長様に指示を受けたわけではないのですが、クルーである貴方達が襲われるのを看過できなくて、独断で手をお貸ししました。貴方達が私を警戒するのは道理です。だって、私たちは赤の他人で、今が初対面ですから」


言いながらは、こちらに戦意がないことを、気配で伝えた。完全にではないが何か伝わったのか、暗闇の向こうの3人からも、徐々に戦意が薄れてゆく。は、持ってきていた明かりを足元に置いて、話を続けた。


「今、ここに、明かりを置きました。私は恩を着せたくて貴方達を助けたわけではありませんし、貴方達にとってはまだ疑わしい存在でしょうから、姿を見せないまま去ろうと思います。船長様にも、何もお伝えいただかなくて結構です。私が去ったら、この明かりを点けて、貴方達から見て右手の通路を真っ直ぐ進んでください。 すぐに外へ出られます。おそらく・・・貴方達ハートの海賊団の船が、その出口から近い場所へ遅かれ早かれ浮上してくるでしょう」
「・・・・・・赤の他人にしては、随分と的確にものを言うんだな」
「・・・女のカンは、当たるものですよ」


喋りすぎて逆に相手の警戒心を煽っていることは分かっているが、助けた3人を無事に船まで案内できなければ意味がないことも分かっているので、は言葉を濁すことで、ペンギンの追及を退けた。

ただのお節介で、助けただけなのだ。命を救ったことを“助けただけ”で片付けるにはいささか無理があるのも承知の上で、は、助けただけにしたかった。別に恩を感じてほしいわけでもなければ、見返りを求めるわけでもない。強いて何か理由を付けるのならば、イートンが亡くなったこの日に、 更に知った人を亡くしたくなかった・と言えるだろうか。もしくは、彼に、私と同じような気持ちを味わってほしくなかった・と言えば良いだろうか。だけど、そんなことを今目の前にいる3人には説明できないし、したくもない。は、頼むから、すんなりと“助けられただけ”で帰ってほしいと願っていた。


「・・・ペンギン、彼女の言うことを信用してみよう。元船長の長年の勘だ、彼女に悪意はない」


そう言ったのは、巨体の男だった。衰弱はしているが、意識ははっきりとあるのだろう。しっかりとした口調で、彼はそう言った。は思わぬ【元船長】の助け船に、ホッと小さく息を吐く。
一人でもそう言ってくれるのであれば、もう長居は無用だ。


「ありがとうございます。貴方達が無事に船に戻れることを、祈っています。それでは」


はそれだけ言うと、踵を返して、もと来た道を駆け戻っていった。その後ろで、ペンギンと呼ばれた男がすかさず明かりを点け、彼女の姿を探そうとしているのを背中で感じながら。