ペンギンは、目の前で繰り広げられる光景があまりにも急速に、しかも信じられない方向にばかり展開していくため、自分でもいつの間に席を立ったのか気付く暇もなかった。ちょうど自分たちの席の方へ飛んできた天竜人を見る。もしかしなくても、今自分が歴史的に最悪な瞬間を目撃したのではないか・と、 ペンギンは感じていた。




人間屋での、目も当てられないような汚い競りは、最初はつつがなく行われていった。舞台の上に順番に立たされる、手枷と首輪をつけられた奴隷予備軍たちは、みな蒼白な顔をし、恐怖と絶望で身を打ち震わせているのがありありと見て取れた。が、そんな様子を気に掛けるものなど会場には一人もいない。 何様気取りなのか知りたくもないほど、ドロドロに汚れた臭い欲望を振りかざす人間どもが、己の番号プレートを上げては“値段”を吐いてゆく。とんだ茶番劇だ・と、ペンギンは帽子の下でしかめっ面をしていた。

会場の外でひそかに見張りをしているハクレットから電伝虫で通信が入ったのは、“商品”のエントリーナンバーが13番まで進んだ頃だった。内容は、海軍がこの人間屋の周囲を取り囲み警戒態勢に入っている、ということ。この会場には自分たちのほか、ユースタス・キッドを含むキッド海賊団も数人来ているのは知っている。 どちらかを捕まえに来たのだろうか・と、ローに報告するその頭で考えていた。
しばらくすると、入口のあたりにどよめきが奔った。何事かと目をやれば、また天竜人がひとり到着したようだった。が、ペンギンが気付いたのはそれだけでなかった。ちょうど入り口付近に、船長こそいないものの、麦わらの一味が数人並んでいるのが見えたのだ。咄嗟に隣の船長を見やれば、彼もそれに気付いているようだった。 麦わらの一味は全員が賞金首。ここまでの連中がこの会場に揃っているとなれば、海軍も見過ごすわけにはいかないのだろう。道理で警戒態勢をとっているわけだ・と納得したペンギンは、万が一に備えて、ハクレットに通信を入れた。

と、その時、会場内に悲鳴が走り、一瞬騒然となる。思えばこの瞬間から、このオークション会場は一転、大騒動への道を転がり始めていたのだろう。見れば、舞台の上の男が、血を吐いて倒れたところだった。舌を噛んで、自分の命に値がつけられる前に死を選んだのは明白だった。 会場を、不穏な空気が包む。それを一掃したかったのだろう、司会者が超目玉商品といって次に寄越したのは、なんと人魚だったのだ。会場がワッと湧き、その場にいる全員がその人魚を注視した。ペンギンも、初めて見るその人魚の姿に、ぐっと引き寄せられていた。のだが、


「5億で買うえ〜〜!!!5億ベリ〜〜〜〜!!!」


会場を切り裂いたのは、天竜人の間抜けな声だった。しかしその提示した額は半端なものではなく、一瞬にして会場が静まり返る。それは、誰もがあわよくばと狙った人魚が、バカ面を晒した天竜人の手中に落ちた瞬間だった。温まった会場が再び冷え込んで予想外なのだろう、 言葉足らずにとりあえず話を前に進めようとする司会者を尻目に、会場全体が今日は終わりだな・と思い始めていた。

その矢先。


「ぎゃああああ〜〜!!!」


爆音と悲鳴と土煙が、ステージとは反対側の会場の入口を覆った。人魚の行く末にうんざりしていた会場の人間は、何事かと後ろを振り返る。ペンギンが振り向きざま、ふと船長を見れば、彼は前を向いたまま、楽しくなってきた・とでも言わんばかりに口角を上げていた。

騒々しい話し声とともに煙の中から飛びだしてきたのは、麦わら帽子をかぶったモンキー・D・ルフィだった。

そこからは怒涛の展開で、どうやら知り合いなのだろう、人魚を開放せんと何もかも無視してステージに駆け寄る麦わらを、タコの魚人がダメだと引き止めてごちゃごちゃやっていたそこに銃声が響き、タコの魚人が倒れ、拳銃を持った天竜人がアホのようにタコを仕留めたとはしゃぎまわった。 すると、人魚に気を取られていたはずの麦わらの纏う空気が一気に変わり、血に濡れたタコの制止も聞かず、麦わらはずんずんと天竜人に歩み寄った。会場の全員が、まさか、と思いながら見ていた。


そして次の瞬間には、天竜人が麦わらによってぶっ飛ばされていた。


***



自分の“上”の辺りが、蜂の巣をつついたように騒がしくなり、は閉じていた目を開けた。どれほどそうしていたのだろう。がいる場所は窓も扉も時計もないため、ここへ来てからどれくらいの時間が経っているのか分からない。けれども、立ち上がったその足がジンジンとしびれている辺り、 相当長い時間座り込んでいたのだろうな・などと思う。ここは静かで、人気もなく、“声”もほとんど聴こえない。は今日、できるだけ心を空っぽにして、いたいだけここにいるつもりだった。
しかし、“上”から聴こえるたくさんの声の中に、いくつか知った声があり、さらにそのうちの1つが彼のものだったこともあって、は一旦“上”に集中して耳を澄ました。

―――・・・・・・レイさんはどうやら無事なようね、良かった。上の人間屋で海軍と海賊がやり合ってるんだわ・・・でも海賊の方が相当強い。億越えレベルが・・・6人。それ以外にもレベルの高いのが8人はいる

一番聴きなれた声に耳を澄ませば、それは予想通り、恩師のものだった。どうやら彼には何事もなく、無事人間屋からは解放されたようだ。その背に瀕死の魚人を背負い、海軍から逃げているようだった。そこから、もう2つの聴き知った声に耳を向けると、それはなんと、 数日前に聴いたハートの海賊団のクルー2人のものらしかった。その近くに、同じくクルーらしきクマがいる。そして、もう一人。おそらく嬉々として戦っているのだろう、辺りにその生気をまき散らしている今は、その声が丸聞こえだった。

―――死の外科医トラファルガー・ロー・・・こういう色の“声”をしてるのね・・・・・・

鮮明な声色こそ初めて聴くものだったが、その強さはやはり、数日前に感じたその印象のままだった。到底2億で片付けられるような能力・頭脳ではないことが、頭上の様子からありありと分かる。海軍は往々にして、自分たちにとってどれほど危険かで懸賞金をかけるきらいがあるので、 おそらく今までローは巧みにその力を隠してきたに違いない。
は、騒ぎの様子をもう少し聴いてみようと、また神経を集中させた。そうして聴こえてきた衝撃の事実に、目を見開くことになるとは知らずに。


・・・部からは黄猿さんが来るらしいぞ!助かっ・・・
・・・シフィスタが上陸準備にかかっている!何とか奴らを1ヶ所に留めてお・・・・・・
・・・超新星か、聞きしに勝るイカレっぷりだぜ。天竜人を殴り飛ばすなんて聞いた事がね・・・



吐きだすべき息が、ぐっと喉の奥で詰まったような、そんな感覚に急襲される。天竜人を殴り飛ばした、と、には確かにそう聴こえた。まさか、そんなことがこの世の中であり得るのだろうか。天竜人は何をしても正しいとされ、下々の民が天竜人に何かをすることは、たとえそれが善行であっても決して許されない、この世の中で。 いつかの記憶がフラッシュバックし、は瞠目した。
文脈からすれば、殴り飛ばしたのは超新星、最近話題のルーキーのうちの誰からしい。先程聴こえた気配の中では、飛びぬけて能力の高いものがローを含めて3人あった。おそらく超新星の中の、船長クラスの誰かだろうと見当を付ける。が、実際の中で顔と気配が一致しているのはローだけで、 他の2人についてはよく分からないので、自然とローの顔ばかりが思い返される。もしかしたら彼が、あの天竜人を手に掛けたのだろうか。そんなことをすれば海軍大将がやってくると知らないわけではないだろうに、それでも殴らずにはいられないほどの、何かが起こったのだろうか。

思わず、恩師の気配を辿る。すると、彼はルーキーのうちのローではない誰かと一緒に戦線を早々に離脱し、どうやらシャクヤクの待つあのバーへと向かっているようだった。彼は、海軍大将が出て来ようが猛獣に襲われようが負けるはずのない人なので、戦線を離脱しているのなら尚更、心配はないだろう。 もう一人のルーキーも、別方向へだが、海軍を引き離して逃走しつつある。人間屋に最後まで残っているのはローとそのクルーのようで、は、無意識のうちに彼らの動向へと神経を集中させはじめていた。


***



あらかじめハクレットに指示を出して人間屋の付近まで寄せておいた自船を目指す途中、ローとクルー達は運悪く、七武海のバーソロミュー・くまと対峙しているユースタス・キッドとその一味に出くわしてしまっていた。ローは、相手が七武海となれば一筋縄ではいかないことを知っているため、 頭の中で仕方なくキッド達との共闘作戦を組み立てる。相手は一人、勝機は充分にあった。戦いの最中ながら、くまがキッドに気を取られている間に、ローは低い声でペンギンに声を掛けた。


「ペンギン、シャチと一緒に、ジャンバールを連れて船へ先に戻れ」
「・・・それは、アンタとベポを置き去りにしろって言ってるのか?」


船長に背中を守られて逃げる度胸のあるクルーがどこにいる・と、暗にペンギンの目が言っている。がしかし、ローは気にせずに続けた。


「ユースタス屋の連中を上手く使う。相手は一人、それで手数は十分だ。むしろこっちとしては、ジャンバールが危ない。さっきまで奴隷だったんだ、いつ体力的精神的にぼろが出てもおかしくはない状態に見える。新参者とはいえ仲間は仲間だ、お前ら2人でしっかり連れて帰ってやれ」


船長がそこまで考えて言うことなら・と、ペンギンはしぶしぶだが従った。自分がくまの気を引きつけている隙に即座に撤退するよう指示し、ローはもう一度くまに向き直った。


***



―――全く、散々な一日だ。麦わら屋がどれほど傍迷惑な奴か、身を以って知ることになるとはな・・・

軽傷を負いながらも、キッドとの共闘によりくまを結局2体倒したローは、ベポとともに自船へと急いでいた。1体目を倒した後、2体目が現れた時はどういうカラクリかと目を疑ったが、戦っているうちにその裏背景を理解したローは、2体目をあっさり薙ぎ倒したのだった。何のことはない、ローたちを襲ったのは、 王下七武海バーソロミュー・くまを模った人工知能を持つ兵器で、大将黄猿のレーザー攻撃と瞬発性が厄介なだけの、所詮はロボットだった。といっても存分な強さを誇る代物であり、ローがひとりで相手をしていれば勝ち目はなかったのだが。

―――しかし、海軍も面倒なモン開発しやがって・・・

あれほどのレベルの戦闘兵器が、もし大量生産可能な状態まで開発が進んでいるとすれば、絞まるのはローたち海賊の首である。それに、問題は兵器だけでなく、例えば海軍の大将レベルが出てくるとなると、自分の度量ではまだ逃げることしかできない。新世界へ入れば、 相手にしなければならない海軍のレベルも、そして絶えず争っていかねばならない同業者たちのレベルも、格段に跳ね上がると聞いている。“楽園”のサバイバルで培った能力がどれほど拙いものかを、ローははっきりと悟っていた。

だからこそローは、このシャボンディ諸島と次の魚人島を要とし、ここで必要な戦力をしっかり身につけておきたいと思っている。そして、そのうちの一つが【覇気】である。

先刻人間屋で冥王レイリーの覇気を目の当たりにした時、意識さえ飛ばさなかったものの、全身が粟立って不覚にも足が竦んだのを覚えている。あれがまだ、海賊王の右腕だというのだから、目指すべき海賊王など途方もなく遠くに思えて仕方がない。
がしかし、自分が海へと出てきた理由は、ここまでやってきた理由は、一つしかなく。その志から逃げるくらいならば、どんな手段を使ってでも立ち向かうのがローの信条だ。覇気はまだ手段にすぎない。ならば、それを手にするまでなのだ。ローは、久しぶりに血がざわついているのを感じていた。

しかし、惜しいのは麦わらがレイリーを“お持ち帰り”してしまったことで。大騒動になってしまったこともあって、コーティングの話はおろか、ゆっくり会話すらできなかった。さて、これからどうすべきか・など、色々なことが駆け巡る頭を抱えて、ローは走るのだった。


***



「何?まだペンギンたちが戻ってないだと・・・?」


上陸しているらしい黄猿に見つかることもなく、ローとベポは無事自船に辿り着いていた。すぐさま潜航させ、諸島直下の海中500mまで身を潜めたまではよかったのだが。ハクレットの嬉しくない報告を聞いて、ローは眉根を寄せた。


「『船長と別行動になった、先におれ達が戻る』とは連絡が来たんですが、それっきりで・・・・・・」


悪い予感しかしない。ローは、自分の采配が間違っていたのだろうか・と、ペンギンに指示を出した時の状況を思い返していた。あの時は、まだ船に近い場所にいた。もし3人が何事もなく船を目指したのであれば、自分達よりはるかに早い時点で船に着いているはずである。しかし現状まだ戻らないということは、 何らかの想定外の事象に巻き込まれたとしか考えられない。ローが倒したくまの形の兵器は2体だが、もしその他にまだ兵器があり、自分の目の届かないところで襲われていたとすれば。もしくは、一番考えたくないことではあるのだが、大将黄猿に見つかりでもしていたら・・・―――。


「・・・場所を変えて、一旦浮上するぞ」


勝機があるかと問われれば、相手があの戦力ならはっきり言って微塵も無い。が、自分が迎えに行ってやれば、逃げ帰ることぐらいはできるだろう。息の根を止められてさえいなければ、たとえどんなに酷い怪我をしていても、生かしてやれる自信と腕はある。ローは、最悪の事態を想定するよりも、 自分の采配ミスを後悔するよりも、逸早くペンギンたちを救出するための策を講じることに意識を集中させた。