船長が帰ってきていないことに気がついたのはベポだった。ハートの海賊団のマスコット的存在、歌って踊る(こともできる)オスの白クマであるベポは、大変だ・と後ろ足2本で器用に船内を駆けていく。ベポにとって、朝の仕事の後に船長であるローを起こしに行くことは、最早日課となっていた。それだけローの寝坊率は高い ・・・というか、本人に朝早く起きるなどという選択肢がハナから無いので、ローの起床は朝の一仕事が終わってからというのがクルー間では暗黙の了解なのだが。とにかく、それがベポやクルー達にとって毎朝の日課となるほどに、船長は、本人が自分の意思で起きていない限り、朝は自室のベッドで寝ているのが常なのだ。 航海中は勿論のこと、島でログを溜めている間だって、それこそ夜中は陸の女に現を抜かしていても、朝ベポが彼の部屋を訪ねれば、必ず彼はそこで眠っているのだった。
そう、朝になってもベッドがもぬけの殻で、帰ってきた形跡もないなんて、今までにない一大事である。

ようやくベポが食堂へ駆け込んで、朝の掃除後の一服を嗜んでいるクルー達に、焦って回らない舌を何とか回して船長の不在を告げると、ハートの海賊団の黄色い潜水艦は一気に不穏な空気に包まれた。


「まさか船長に限って、・・・どっかで迷子にでもなってるだけじゃ・・・?」
「いやでもこんなこと今までなかったぜ、つか、あの人が迷子になるようなタマかよ」
「ただの島なら放っておいてもいいと思えそうなもんだが・・・如何せんシャボンディだからなあ」
「万が一、ってのが有り得ておかしくねえところだぜ、おい・・・!」
「・・・う、うわーーーん!!ぎゃぶでーーん!」


頭をつき合わせて状況を吟味すればするほど、もくもくと、夏島の入道雲のように不安が募っていく。仕舞いにベポは泣きだす始末だ。しかし、クルー達の間でパンパンに膨らんでいる気持ちは、なにも不安だけではなかった。現状として、船長がいつもの時間に居ないのだ。これは、誰が何と言おうと、 ハートの海賊団にとっては“異常”である。そして音沙汰のない今、船長が帰ってくる確証も無い。そんな状況で待ち続けるのが得策ではないことは、クルー全員が分かっていることだ。それに、こんなところで不安がって手をこまねいているだけでは、ハートの海賊団としても名折れである。 万が一を考えるとぐずぐずしてはいられない。

―――とにもかくにも、探しにいかないと!

その場にいる全員が強く思ったのを感じたペンギンが、ようやく口を開いた。


「10時半か・・・いま市場に買出し組が出ているな?電伝虫は持ってってるか?連絡を取ってそのまま捜索に出てもらう」
「ああ、ウォーラスはいつも持ってってるから連絡がつくはずだ!おれ掛けてくる!」
「あとシャチ、私服に着替えてきてくれ。帽子とサングラスも置いてこいよ。おれと一緒に昨日の酒場に行くぞ。何か手掛かりがあるかもしれない」
「え、行くのは行くけど何で私服?このまんまでいーじゃn「後で説明するから早く着替えろ!」
「ア、アイアイッ!」
「じゃあペンギン、おれはとりあえず見張り台へ上がっておくぜ!」


ひとり、ひとりと、食堂からクルーが駆け出していく。そんな中、べそをかいてはいられないと気を持ち直したのか、ベポも声を上げた。


「ペンギンべンギン!おでも行くー!ギャプテンの匂い、おれの鼻で探せばきっと早いよ!」


ベポは、『おれもキャプテン助けにいく!』と、涙でか意思でか分からないキラキラした目をペンギンに向けた。普通の人間なら、この瞳だけでノックアウト級の可愛さ&健気さである。が、対するペンギンの表情は煮え切らない。


「ベポ、確かにその手を使うのは得策なんだが・・・どういう状況か分からない今、お前は目立ちすぎる。お前を連れて出るのは早計だ」


それは彼ならではの、嗅覚でならば絶対役に立てると踏んだ上での発言で、実際に犬の10倍ほどもあるベポの嗅覚があれば、船長の発見確率はぐんと跳ね上がる。しかし、だ。ペンギンの言わんとすることもまた一理ある。ベポは再び、そのつぶらな瞳に涙を溜め始めていた。


「っ〜・・・泣くなベポ男だろ!今すぐには連れて行けないってだけの話で、なにも絶対連れて行かないってわけじゃない。寧ろ早い段階でお前の鼻は是非とも使いたい。でも、この島でお前を見てハートの海賊団を連想しない奴がいると思うか?」


ペンギンの言わんとすることもまた一理ある、あるのだ。それを、分かってはいるのだが。やっぱり気持ちが焦って、不安で、ベポの目からまた大粒の雫がこぼれた。


「いいか、もし船長が何らかの事件に巻き込まれているのなら、それはハートの海賊団にとっても避けられない事件だ。逆にもし船長が何ともなくても、船長が不在でウチがあたふたしてることが関係ない敵にでもバレたら、その隙を突かれたっておかしくない。それも一大事だろ。 さらに言えば、もちろん船長も必要不可欠な存在だけど、船や金品がやられても海賊団としては致命傷。分かるか、今おれたちがするべきことは、船長を全速力で探しつつ、船長がいないことを悟られない態で、船も守ることだ」


ペンギンの言葉に、悔しいけれど、ベポは力強く頷く。ペンギンも、ベポの頭をポンポンと撫でた。


「おれとシャチでダメだったときは、すぐお前に頼る。それまで、船を頼んだぞ」
「アイアイペンギン!」
「ペンギン、ウォーラスに繋がったぜ!何て言やいい!?」
「ハートの海賊団に対して妙な動きがないか、街の様子を探るように伝えてくれ!あと船長について買出し組は今は余計な詮索しなくていい!見つけたときは即確保で!」


クルー達が各々の役割を意識して動き始めたことを確認したペンギンは、自分も私服に着替えて船長捜索に乗り出すべく、食堂を後にした。


***



フロントの裏の部屋で仮眠をとっていただったが、ふと声が聴こえて目を覚ました。普段から聴こえている声とは確実に毛色が違うそれに、でも妙な引っ掛かりを覚えたのだ。見やれば、枕元の目覚まし時計は11時を少し過ぎた辺りを指している。先程の声は、何だろう、何か、気になる。 こちらに向けてダイレクトに発せられている訳ではないので、直接自身に関係ないことだろうとは思うのだが・・・。
まあ、気になるなら聴いてみればいいだけの話か。と、シンプルな結論に至ったは、それを探ると同時に、もののついでなので、おそらくまだ上階で眠っているだろう懸賞金2億ベリーの海賊の様子も見てみることにした。深呼吸をするように、スッと、感覚を研ぎ澄ます。

・・・くそ、どこ行ったんだアイツは!こりゃそろそろベポを呼ん・・・・・
あー・・・船長が行きそうなとこ、怪しいとこ、船長が行きそうなとこ、怪しい・・・・・
・・・・・・・・・・・・


それだけで、にとっては十分な情報だった。どうやら若い男性が二人、おそらくハートの海賊団のクルーだろう。その二人が、おそらく自船の船長様を探している、それも結構切羽詰まった様子で。そして確か、その船長様は、ここの3階で昨晩から眠っているはずだ。

―――私が読み違えていなければ、ね

昨夜から今朝にかけての経験則で、はどうも、トラファルガー・ローという男に対していつもの感覚に自信が持てなくなっていた。昨晩のファーストコンタクトでの失態、夜通し続いた読めているのかいないのか分からない靄がかった“聴こえ方”。朝食の時間にも起きてくる気配がなく、 そもそもあの部屋に居るのか居ないのかすら怪しいが、しかし、彼の存在が聴こえなくはない。いつものようにいかないのを眠気のせいにして、半ば自棄に仮眠に入ったのは、つい2時間ほど前だったか。
まあ何にせよ、と思考を持ち直す。彼のクルーが彼を切実に探しているのは、手に取るように聴こえてくる。外泊については何も言わずに出てきているのか、それとも帰るつもりだったところを予想外に眠り込んでしまっているのか・・・おそらく後者かな・と見当を付けて、は腰を上げた。


***



その気配が2階の踊り場に足をのせたとき、ローの意識は完全に覚醒した。そして彼は、カーテンの向こうの日の高さと空気の匂いで、今が昼前であると確信に近い推測をして、その柳眉を盛大に寄せた。どうやら、下手な時間まで眠りこけていたようだ。本来ならばその事実は命取りにもなりかねない、 何としても避けてしかるべきことであるはずなのだが、どうも、今のこの寝覚めの良さが、自分を完全に辟易させるのをすんでのところで留めているようだった。ひとつ、短いような長いような息を吐く。
自分が元来、こんな初めて来たところで熟睡するようなタイプでないことは、自分だけじゃなくクルーも知っていることで。船に何も連絡せずに船長が余所で寝落ちなど迂闊以外の何物でもない・と歯噛みするも後の祭、というか、現状として特に何の不都合もなく自分は起きていて、 むしろ昨晩のえも言われぬ倦怠感がすっかり消え去っているのも事実で。結果良ければ、ってとこか・と、妙に得心してしまう自分にもローは気付いていた。

そうこう考えているうちに、足音は部屋の前までやってきていた。控えめに、ノックの音が響く。


「トラファルガー様、お目覚めでいらっしゃいますか」


その『お目覚めでいらっしゃいますか』に、少し違和感を覚えるロー。随分と日も昇った今の時間帯、通常の人間ならとっくに活動を開始している。なのにこちらが今の今まで眠っていたと知っているかのような口ぶりに、それが当たっているから尚更ローは釈然としない。がしかし無視するのも道理ではないので、 ローは緩慢な動作でベッドから立ち上がり、ドアを開けた。と同時に、の穏やかな笑みと鼻をくすぐる香りが飛び込んでくる。何となく気圧されて視線を下にやれば、カートに、朝食というには少し多い量の食事と、ウォーターベースと紅茶一式が乗っているのが見えた。


「・・・・・・」
「おはようございます、トラファルガー様。軽食をご用意いたしましたが、いかがでございますか?」
「・・・そんなことを言いに来たわけじゃねえだろう」


白々しいの問いを、ローはどうでもいいと切り捨てる。ホテルマンが寝ているであろう客の部屋まで来てご飯はいかがも何もない。ローの返しに、はその通りだと笑った。


「若い男性が二人、ハートの海賊団の船長様を探しておいでのようですので、お知らせに」


そう言われて、心当たりがありすぎるローは眉間の皺をさらに濃くした。若い男性などどこにでもいるが、ハートの海賊団の船長といわれれば、それは紛れもなく彼のことだ。


「ここへ来たのか?」
「いえ、さきほど外で偶然耳にいたしました。ハートの海賊団の船長というのはトラファルガー様ではなかったかと思い当り、探しておられるのが誰であれ、お知らせしておくにこしたことはないかと思いまして」


心配症というか世話焼きというか、ローのことには人一倍敏感なクルーのことを思い浮かべる。まあそうさせている一因は自分にもあるのだが。太陽が昇る前にはいつも帰っている自分が、今日は天心に太陽が昇っても戻らないなんて、あいつらが心配しそうなネタを作ってしまった・と、心の中で苦虫を噛み潰す。
しかし、それを置いといても、のような一般人の耳に入るほど騒いでいるのはおかしい。と、咄嗟にそこまで思考が回るのがトラファルガー・ローという男だった。この諸島では自分の居ないところで目立つなと、クルーには散々言い聞かせてある。 それがここまで情報が届くとなると、もしかするとローが云々という話よりも何かの騒動に巻き込まれている可能性の方が高いかもしれない。もしくは、クルーではない誰かが探しているか、またもしくは、彼の目の前で微笑む女が何らかの意図で嘘を吐いているのか。


「もしその男性方がこちらへお見えになられたときは、お通しいたしましょうか?」
「・・・いや、いい。着替えたらすぐに出る」
「かしこまりました。お食事はいかがなさいますか?」


その言葉に、ローはちらりと、プレートに並ぶ料理を見やる。正直なところ、腹は若干減っている。が、悠長に食べている時間も、出された食事に何の疑いもなく手を付けられるほどの信用も、生憎ローは持ち合わせていなかった。


「水だけでいい」
「かしこまりました」


はカートからウォーターベースとコースターを持ち、『失礼致します』と部屋の中へ入った。ローは食事をもう一度見やる。そういや、客は自分ひとりだけではなかったか。
テーブルへウォーターベースを置いて戻ってくるに、彼はふと問いかけた。


「・・・おい」
「はい、いかがなさいましたか?」
「この飯はこの後どうなる?」


ローの質問の意図を掴みかねたは、つくづく思っていた。このひとはやっぱり、本当に分からない・と。これだけの距離で話していてもその真意を捉えきれない。さらに言えば、色々とローからあらぬ疑いをかけられていることはさすがに感じているのだが、疑うところまで疑っておいてこの質問が出てくる理由に、 は皆目見当が付けられなかった。どれだけ読もうと思っても、読み切れない。こんな人には、彼女は過去にひとりしか出会ったことがなかった。


「はい・・・、このお食事はトラファルガー様にとご用意させていただきましたので、保存のきかないものに関してはこのあと廃棄となりますが・・・」


分からないからといって、答えられる質問に答えないわけにもいかないので、は無理に溜飲を下げて言った。『食材たちには申し訳ないのですが』と、眉を下げることも忘れずに。そんなの様子を知ってか知らずかじっと見つめていたローだったが、すぐに思い立ったように口を開いた。


「なら、持ち出せるように包んでくれ」


意外な返答には思わず目を丸める。そんな彼女を相手にすることもなく、彼は支度をしたいのだろう、部屋の奥へと進んでいった。は慌てて『かしこまりました』とだけ返し、カートを引いて廊下へ出た。パタンと閉まった扉を前にして、きょとんと立ち尽くす。

その扉の向こうで、ローも、グラスへ移した水が揺れているのを見るともなく見つめていた。疑わしい要素は、それは疑えば疑うほどに出てくるというもので。しかし、昨晩からずっとある感覚として、ローはこのホテルに関しては安全であると何となく思っていた。どちらも確証はなく、はっきりと言えたことではないのだが、 こういうときの自分の感覚は命を危ぶめるほどまでは間違っていないはずだ・と、妙な自信があることは確かだ。グラスを手に取り、冷たい水を流し込む。湧水らしい、ミネラルを含んだ水の味が口腔に広がった。