後ろ足2本でふらつきもせず立っている、オレンジ色のつなぎに身を包んだ白クマを、は見上げるような形で眺めていた。そんなを、白クマもじっと見つめている。そのつぶらな瞳は澄んでいるにもかかわらず、一人前に初対面の人間に対する警戒心と、あとはどことなく憶病心で満ちているようだった。 あどけない表情から、まだ彼が子どもであることが窺える。二足歩行の喋る白クマとは、やはり偉大なる航路は何がいるか分からないものだ・と、は目を瞬かせた。


「初めまして、と申します」


人見知りなのか、を前に微動だにしない彼に、は優しく声を掛けて手を差し出した。それだけのモーションに、その白クマはというと、思いっきり体をビクつかせて後退りする。その隣で、PENGUINと書かれた帽子を目深にかぶった男が、『ベポ、ちゃんとしないか』と父親のようなことを言うので、はおかしくて笑ってしまった。


「・・・お、お前、おれが怖くないのっ!?」


そんなの様子が解せなかったのか、驚き半分警戒半分にベポは声を荒げた。きょとんとするを余所に、PENGUIN帽の男は、『こらベポ!おれ達の命の恩人にお前とは何だ!』と、白クマにげんこつを喰らわせている。その光景がやっぱりおかしくて、再び笑いだしたに、今度はペンギンとベポがきょとんとする番だった。


「貴方こそ、そんなに怖がらないで。船長様からお話は伺っています。甘いものがお好きだと聞きましたので、今とっておきのケーキを焼いているところです。私はと申します。以後、お見知り置きを」


にっこりと笑って、はもう一度ベポに右手を差し出した。それを見たベポは、ケーキという言葉に盛大につられた部分は置いておいて、の真っ直ぐな眼差しに心融かされたのか、気恥かしそうにではあるが同様に右手を差し出した。


「お、おれはベポ!ハートの海賊団のせ「マスコットだ!」・・・!もう!シャチ、邪魔しないでよー!」
「間違ってないだろー!照れるなよ!」


シャチと呼ばれたキャスケット帽の少年の茶々入れに、ドッと場が湧く。ベポはそんなからかいに吠えかかりつつも、『仲間を助けてくれてありがとう』と言うまでは、の右手をしっかり握って離さなかった。


***



このホテルがこんなに賑やかなのはいつ振りだろう・と、飲んで食っては騒いでいるハートの海賊団を、はバーカウンター越しに見やる。海賊10人分の食事の準備は久しぶりの大仕事だった。酒も大量に必要になるだろうとマスターのいるパブへ駆け込めば、一体何事かと大騒ぎされてしまったのも笑える話で。 手を負傷しているので時間がかかるかもしれないと、いつもより大分早くから準備に取り掛かっていたら、ウォーラスというハートの海賊団のキッチン係だというクルーを思いがけずローが寄越してくれた。おかげで手の不自由さを理由に諦めていたレシピにも取り掛かることができた上に、約束の時間に遅れることもなく、 無事に仕込みを終わらせることができた。そうして先程ローがクルー達を連れて現れて、あれよあれよと見る間に宴会が始まったのだった。

ローに、ホテルを貸し切らせてくれと言われたのは、昨晩のことだ。知りたかった情報を全て聞き出すことができて上機嫌なローが、『クルー3人の命を助けてもらった礼ぐらいさせてくれ』と、そう申し出てきたのだ。礼と言われて何かを与えられたり持て成されたりするのではなく、こう頼まれてしまうと、も断るに断れない。 『できる限りのおもてなしをさせていただきます』とが受け取れば、ローはやれやれといった表情で『そう気負われたら意味がねェだろう』と笑った。


「いつもこんな賑やかな食卓なのですか?」


カウンターでひとり淡々と酒を干しているローに、は声を掛ける。用意しておいた食事がすっかり平らげられたのを見計らって、酒の肴と冷たいデザートを今しがた出してきたは、ようやく一段落ついたのか、肩の力を抜いているようだった。ローは、はしゃいでいるクルーを肩越しに一瞥し、 それから、溜息でも吐くかのように言葉を置く。


「毎日あれだけ騒がれたら、煩くてやってられねェよ」


そんなローの様子に、はくすりと笑った。同じ輪の中で食事をするわけでもなく、口を開けば面倒くさそうな物言いしか出てこないが、それでもには、否、それだからこそ、ローとクルー達とがしっかりとした信頼関係で結ばれていることがよく伝わっていた。煩いと言いながらも決して邪険にしない船長に見守られ、 手放しで宴を楽しむクルー達と、そんな彼らの様子を肴に、自分の好きなペースで酒を進めてゆく船長。は、こんな海賊団もあるのだなあ・と、暖かい気持ちになってゆくのをひっそりと感じ取っていた。


一方のローは、これほどのマルチプレイヤーはそうそう居ない・と、内心舌を巻いているところだった。

用意された酒に北の海のものが多かったのは予想の範囲内だったが、出された料理はどれも想像を超えるものだった。まず、新鮮な野菜がたっぷりであること、なのに、それが料理全体の中で強調されていないこと。嗜好が肉類に偏りがちな男達が、肉とともに、知らないうちにしっかりと野菜を摂ってしまうような、そんな構成だ。 あとは、オイルの使用量が控えめであること、必要な栄養を逃さずに摂れる調理方法であること、疲労回復に良いスパイスを中心に使用していること。と、ウォーラスが言っていた。の手の傷を考慮してウォーラスを先遣隊として送り込んだのだが、彼としても何やら勉強になったようで、先程からずっと嬉々としている。
そして何より、単純に、美味い。更に女性が作ったという付加価値もあり、クルー達は大喜びでがっついていた。それほど食の太くないローも、今日はいつもより箸が進んだような気がしているぐらいだ(と言うと、ウォーラスには失礼な話だが)。一つだけ惜しむとすれば、あまり酒は飲まない口なのだろう、 酒のことに関してはどことなく覚束ないところぐらいだろうか。

料理もさることながら、【見聞色の覇気】の力を存分に発揮した接客も、なかなかのものである。の行動は、クルー達が食べて飲んで騒ぐことに集中できるように、という気遣いで満ちているようだった。顔立ちや体格といった見た目も悪くはない部類のなので、男としてはそういう意味でも接客され甲斐がある。 その辺の安い女と違って、教養もしっかりあるようで、話し相手にも不足はない。ちなみに外見の話であれば、例えば感性を磨かせたらそれだけ、例えば金をかけてやればそれだけ、もしくはそれ以上に映えるようになるだろうな・と、ローは思わないでもなかった。

そして、最後のトドメとしては、ローにとってはここが一番重要なのだが、彼女が戦闘に関して申し分ない実力を持っていることだ。彼女があの冥王シルバーズ・レイリーの弟子で、物心がつく頃からずっと師事していたという事実には、昨晩心底驚かされた。が、冷静になって彼女の能力のレベルを考えれば、 それも道理である。
驚かされたと言えば、彼女自身が、恩師がかの有名な“冥王”だと知らなかったことも興味深かった。恩師はこの諸島でコーティング屋を営んでいるレイという男で、1番GRの人間屋にいたならもしかしたら見かけているかも・と言ったに対して、まさかと思いつつも冥王のことかと問えば、即座に違うと答えた、 あのやり取りは鮮明に覚えている。長い付き合いでどうしてそんなある意味分かりやすいことに気付かなかったのか、ローには不思議に思えて仕方なかったが、実際そうだったのだから笑える話だ。こちらが、コーティング屋のレイさん=冥王シルバーズ・レイリーだと教えてやれば、は、驚きが臨界点を突破したのか、 絶句して呆けてしまったのだった。

―――とまあそんなことがありつつも、こうしての能力の全容を知ったローは、“及第点”どころかトップを争う“合格点”を、人知れずに出していた。


***



!これすっごくおいしいよ!」
「そう?良かったわ、ベポくんに喜んでもらえて」
「おれ甘いもの大好きだけど、これは今まででいちばん好き!」


遠慮もないが垣根もなく接してくるハートの海賊団のクルー達に、は、いつの間にかうち解けはじめていた。他人行儀な言葉遣いはやめてくれとしつこくせがまれて、幾分かフランクに話さざるを得なくなったことも大きいだろうか。クルーの総数が予想以上に少なかったこともあり、 船番で来ていないノーファルというクルーを除けば、もう全員と一度は会話しているだろう。クルー達は皆、それぞれに個性的で、楽しいことに純粋で、海賊とは思えないほどに気さくで。おかげでは今日、もう何度も腹の底から笑わされている。

そんな心の片隅で、はふと、イートンを想った。彼には、今この笑い声が、聞こえているだろうか。ここにいる人々のこの笑顔が、見えているだろうか。今ここで笑っている私を、どう思うだろうか・と。すると何だか、無性に泣きたい気持ちになってしまって。は、奥歯をグッと噛み締めて、思考回路を無理に絶った。


「ねえねえ、は食べないの?」


そんなの様子に気付いたクルーは一人もいなかった。ベポが、無邪気に話しかけてくる。


「ご飯も、作ってばっかりだし・・・ねえ、一緒に食べようよ!」
「ありがとう。でもいいの。私は味見で食べてるし。それに、みんなが美味しそうに食べれくれるから、見てるだけで幸せよ」

「ええっ、でも・・・それじゃダメだよ!一緒に食べるともっと美味しいんだから!」


『だからも一緒に食べよう!!決まりね!』と、本当に無邪気に言うベポに、は急にどこか遠いところへ飛ばされたような感覚がした。そうしてハッと気がついたときには、もう遅かった。溢れ出してくる記憶は、そう簡単には留められない。せめて泣かないようにと、は胸に力を込めて呼吸を止めた。隣で、 父よりも少し若いぐらいの年齢のクルーが、『ははっ、ベポの言う通りだぜ嬢ちゃんも食いな!今夜は宴だ!!』と声を掛け、それを合図にクルー達はもう何度目かも分からない乾杯をする。は、やっとの思いで、ベポに『ありがとう』と答えた。


食事はなるべく一緒に食べよう
何でってそりゃあ・・・その方がもっと美味しいからに決まってるじゃないか



***






それなりに宴も落ち着いた頃、転がる空き瓶を片付けているに、静かに声を掛けてきたのはペンギンだった。酒が入ってどことなく頬を赤らめてはいるが、酔っ払ってはいないのだろう。しっかりとした足取りで、ペンギンはに近付いた。


、改めて、礼を言わせてくれ。ジャンバール・・・ってのは、あの巨体の奴のことだが、アイツからも言付かってる。昨日は本当に助かった、ありがとう」
「そんな、私も勝手にやったことだから、あまり言われると肩身が狭いわ。それより、今日その彼は?」
「ああ、ジャンバールは・・・体調不良でまだ寝てる。来られたとしても、あの小さいドアじゃ中に入れないだろうな」
「ふふっ、そうかも。お大事にと伝えておいて」


微笑んでジャンバールを気遣うに、ペンギンは『ああ』と返した。が拾ってゆく空き瓶をペンギンがさりげなく持ってやる。すると、少し驚いたようにペンギンを見やっただったが、次の瞬間には『ありがとう』と柔らかく笑んでいた。そんなの様子に、ペンギンはつい、ぽろりと言葉をこぼしてしまう。


「・・・気を悪く、してるかと思ってた」


ふいに聞こえた、全く心当たりのないことに、は首を傾げる。この文脈で、誰が何に気を悪くする必要があるのか、にはさっぱり分からなかった。対するペンギンは、何か言われるかと内心うっすら不安が渦巻いてはいたが、自分を見つめるの瞳が相変わらず柔らかいので、ついそれに甘えてしまいそうな気持になる。


「どうして?」
「・・・船長には、知られたくなかったんだろ?おれ達を助けたことを。だけど、おれとしては船長に話さないわけにはいかなかったし、話したら話したで、いきなり船長、アンタんとこ行くって言って出てったし。更に今日はこんな大勢で押し掛けて来られて、いい迷惑だと思われてると思ってた。手だって怪我してんのにな、 おれ達のせいで・・・・・・なんていうか、その・・・すまなかった」


俯き加減にぽつりぽつりと話すペンギン。そんな彼をただ静かに聞いていただったが、ペンギンが最後に落とした謝罪の言葉には、微笑まざるを得なかった。更に柔らかくなったの気配に、逆にペンギンは怪訝そうな顔つきにならざるを得なかった。なんでここで笑うんだ・と、彼の心の声が言っている。


「ハートの海賊団の船長様とそのクルー達がしっかりとした信頼関係で結ばれてることは、知ってたわ。姿を見せなかったところで、何も言わないでって言ったところで、船長様に話が行くことは道理だって分かってたの。そうなれば船長様が私のところへお見えになることはすぐ想像がつくでしょう? 確かに今日のこの宴会は予想外だったけど、・・・何にせよ、貴方達を助けた時から、大体こうなるとは思ってたから。ペンギンが気に病むようなことじゃないわよ。強いて言うなら・・・私が持ってる能力は珍しいみたいだから。知られたくなかったと言えば、そこかしらね」


そう朗々と話すに、それでもペンギンは釈然としないようだった。双眸は帽子の影ではっきりと見えないが、口が少しへの字になっている。優しい、かわいらしい人だな・と、は思った。


「船長様が貴方達3人を逃がした時、私、すごいと思った。クルーが船長の背を守ることはあっても、船長に背を預けることを許される海賊団なんて、滅多にないでしょう?そんな海賊団にいる貴方達と知って、私は助けたの。純粋に、素晴らしいなと思ったの。そして今日、貴方達とこうやって話してみて、 やっぱり素敵だと思った。素敵な人達と知り合えて、気を悪くする人間なんていないの。迷惑だなんて、これっぽっちも感じてないわ」


『それに、おかげさまで商売繁盛よ』とおどけて言うに、ペンギンはやっと納得したのか、口元を緩めて『そうか、なら良かった』と答えた。


「あっれ〜?ペンギンお前、なに口説いてんだよ〜」
「お、その空気、さては振られたな!?」


微笑む2人に、少し離れた場所からクルー達のヤジが飛ぶ。それを聞いて、ペンギンは『ハクレットの野郎、こういうことにばっかり目敏いんだ』と渋い顔をする。そして即座に『煩いぞお前ら、それに振られてない。どっちかというと口説かれてた』と切り返した。したり顔のペンギンとどよめくクルー達の姿に、は声をあげて笑うのだった。