なんともなく瞼を持ち上げれば、完全には覚醒していない眼が黒の良質そうな髪を捉え、何だろう・と、思わず思考を巡らせる。その間にも徐々に神経回路は正常に動き始め、その髪の隙間に覗く顔と、それの意味するところが、少しずつ脳内で明るみに出てゆく。体はまだ少し熱を持っているが、 それが布団の所為なのかその他の所為なのかは量りかねた。触覚と聴覚も意識を取り戻し、腰のあたりで素肌に直に触れる腕のような重みと、間近に聞こえる微かな寝息に、(おそらく)少し前の出来事が夢ではなかったことを再確認させられる。心なしか頬も熱い。


「・・・・・・・・・・・・(うそ、じゃない)」


一糸纏わぬ姿で異性と二人、寝床でまどろむのは、とても久しぶりだ。しかし相手が相手なだけに、意識した瞬間、緊張が走る。ボスと、ついにここまで来てしまった。そんな事実をひとり噛み締めながら、嬉しいやら不安なのやらよく分からない、むず痒い気持ちになった。 だけど、確かに感じる恋しさに、気持ちは穏やかで。無意識にそのいとしい顔を見つめていたら、薄らいでいた眉間の皺がふと濃くなり、もう聞きなれた低い声が空気を揺らした。


「見てんじゃねぇ」
「、すいません・・・起きてらしたんですか」
「オイ」
「は、はい」
「何度も言わせんな」


ボスは情事の最中、しきりに、しかしシンプルに言っていた。オレはザンザスだ・と、二人でいる時は敬語や敬称を使うな・と。相手がボスである故にその命令が絶対なのは重々承知だが、相手がボスである故にその命令に従うのには幾ばくかの勇気が要る、なんて、当の本人は分かってくれないんだろうけども。理性も何もなかった先ほどとはまた話が別で、思わず会話しづらくなる。


「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・おい、」
「っ、・・・はい・・・・・・」
「―――・・・・・・まぁいい、オレはもう一眠りする」


ボスは呆れたように一度、大きな溜息を吐いて、私はその様子を妙にどきどきしながら見ていたのだが、彼は特に気分を害した様子もなくブランケットに潜りこんだ。私はといえば、完全に目が冴えてしまい、このまま眠るのもままならない。けど、かと言ってこれから眠ろうとしているボスの隣に居座り続ける度胸もない。それに、この恰好のままで寝床を出るのも、日本人の私にすれば難儀なことで。服はどこだろうとか、これからどうしようとか、そんなことを考えあぐねていると、再び腰のあたりに、しっかりとした重量のあるボスの手が巻き付いてきた。思わず、ボスを見やる。


「ボ、「おい」
「・・・・・・・・・・・・ザ、ンザス、」
「・・・何だ」
「あ、あの・・・私・・・・・・」


片目だけ開けてを見れば、困ったような焦ったような何とも言えない表情をしたと目が合った。日本人はどいつもこいつもよくこういう微妙な顔しやがる・とぼんやり思いながら、オレは腕にぐっと力を込めて、奴の体を抱き直した。


「っ!・・・ザン、ザス、?」
「・・・・・・・・・」


片言なのが気に入らないが、とりあえずオレの名前は呼べるようになったので許してやる。元より別に何と呼ばれようが構わないのだが、こうでも言わないとコイツは態度を変えないだろう。それが単純に面白くなくて、そうさせているだけの話だ。が、赤の他人に名前を呼び捨てにされても気に障らないのは、おそらく初め、て

・・・・・・本当か?



「―――・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」


静かに息を吐きながら、何かを諦めたのだろう、はオレに体を預けてきた。考えるのはやめにした。下らねぇことだ、全て。単純に、の体の抱き心地が悪くねぇことと、少し眠りたいこと。それだけで充分じゃねぇか。


「・・・おい」
「は、い・・・?」
「・・・・・・・・・・・・ここにいろ」
「・・・・・・はい」


目を開けて見なくても分かる、奴は今、微笑んでいるに違いない。


***



「ボス、先程ルッスーリア隊長から上がってきた報告書です。ここでいいですか?」
「・・・・・・・・・」


ボスの返事がないのは今に始まったことじゃない。最初は戸惑ったけど、もう半年も経てば馴染んできたもので、ルッスーリア隊長からの報告書はボスの目の届くデスクの上に置かれた。ボスはといえば、デスクから少し離れたソファに身を沈めて、目は閉じているけれど相変わらずのしかめっ面。でも、今は何か考えれおられるようだ、手に持ったウィスキーグラスが不規則に揺れている。お邪魔になってしまう前に、手早く仕事を済ませて下がろう。そう思い、彼の机の上から必要書類を探していると、不意に背後から視線を感じた。何だろうと思って振り返ったそこに、ボス。


「っ!・・・ボ、ボス、驚かさないでください・・・・・・」
「うるせぇ」


急に視界に飛び込んできた、それも結構近い距離で見たボスの顔にドキッとしていると、ボスはそんな私の焦りを余所に、眉間の皺を少し深くして私の右手首を掴み、それをぐいと彼の眼前まで持ち上げた。私が『あ、』と思うのと同時に、彼の赤い瞳が私を捉える。


「・・・これは何だ」
「それは、その、先程紙で切りまして・・・」


何だ・と問われたものは、ついさっき作ったばかりの、人差し指の切り傷のことで。絆創膏が見当たらなかったからそのまま放置していたのだが、やっぱりじわじわと血が滲んできているし、何より痛い。無意識にそれを庇って動いていたのが、おそらく彼に伝わったんだろうけど、それにしても・・・


「何だ」
「いえ・・・・・・」
「・・・・・・許可なく勝手に傷作ってんじゃねぇ」


そう言って、ボスは私の指を口に含んだ。私がさっきよりも焦ってボスに呼びかけても、無視。ボスは淡々と、傷のあたりに舌を這わせる。居た堪れないやら恥ずかしいやら、何が何やらよく分からないまま、顔が火照ってくるのだけをありありと感じる。すごく長い時間そうしているような錯覚に呑まれる前に、もう一度彼に呼びかけようと口を開いたところで、軽いリップ音とともに私の人差し指が彼の唇から解放された。


「ぼ、」


発しようとした言葉は、間髪入れずに落ちてきた彼の口付けによって遮られる。彼に抵抗する術など最初から持ち合わせていない私は、少しずつ熱に侵されていく脳の片隅で、彼―ザンザス―なりの優しさを噛み締めていた。分かりにくいといえば分かりにくいのかもしれないが、少なくとも私にはよく分かる。窒息するすんでのところで唇が離れれば、次に彼が言うセリフは決まっている。悪戯に燃える赤い瞳と、少し口角の上がった口元。ほら、


「ボス、じゃねぇだろ、


after words