そのあたたかさに、本当は憧れていた。





「・・・・・・思い、出した」


忌々しくて、忘れたいだけの記憶の、最後のワンシーン。確か、あのドアを蹴破ってくれたのは、金色の綺麗な髪の少年だった。それは本当に幻みたいで、助けにきてくれる誰かなんて想像もつかなかった当時の私にとっては、現実よりも覚束ないものとしか考えられなかったのだ。これは都合のいい夢かもしれないし、もしかすると彼は私を迎えに来た天使かもしれない・と、うっすら思ったところで、今度こそ記憶が途切れている。


も忘れてたんなら、あいこだな」


そう言って笑う彼は、やっぱりあたたかく綺麗な人だ。と、そう思ってしまう私は、やっぱりここにはいられない。この拙い脳みそでどれだけ想像しても、彼がマフィアのファミリーのボスだということがうまく飲み込めないし、ここはそんな人間がのうのうと居られるようなとこではないのだ、きっと。あたたかすぎるこの場所の、冷たくてどろりとした底に触れてしまう前に。あたたかすぎるこの人の、そのあたたかさを信じ切ってしまう前に。あたたかすぎるこの笑顔の、無償さに甘え応えてしまう前に。

そして何より、あたたかい場所を失うつらさを思い出す前に。


「・・・それでも私、やっぱり、」
「ああ、分かってる」


みなまで言っていないのに、彼はそう言って、いつの間にか俯いてしまっていた私の頭を撫でた。


「ここにいれば安全だ、それは保障する。・・・・・・だけど、それがの幸せかと問われると、自信がないんだ」


何をどう解釈してここが安全だとするかは、さすがの私にも分かる。にわかには信じがたい話だけど、ここはかつて私の母親が愛し愛されて居た場所で、目の前の彼は、その母親の遺した“私”を陰ながら見守っていてくれたのだという。私の本意はとりあえず置いておいても、そういった背景や、事実いま私がここに足を踏み入れてしまったことを考えると、今後は彼らといることが一番安全な道ではあるのだ。

だけど、どうしてか頑なに、ここにはいられないと思ってしまう自分がいる。とくに彼、ディーノとは、いられない。あたたかすぎて居た堪れない。


が納得して選ぶ道が、一番いいんだ」


ほんとうに。自分の都合だけでしか考えられない私に、そうやってあたたかい眼差しで“幸せ”になれと、どうして言えるのだろうか。私が選択した稚拙な道の先に、そうやって私の“幸せ”を、どうして願えるのだろうか。もしあの時公園で出会ったのが私じゃなくても、彼は同じことをするのだろうか。


「・・・なんてな、もしがここにとどまって、オレ達と過ごして、それでも幸せにしてやれなかった時が怖いだけなんだけど、さ」


の幸せの責任をとれるほどの自信がない、って言った方が正しいな』と、少し悔しそうに、それでも明るい声色で、金色の髪の彼は言う。一体どうして、どうしてそんなことが言えるのだろう。私はこんなに、自分のことだけで精一杯なのに。それなのに、どうしてずっと、私を見守っていてくれたのだろう。私はあなたに、責任をとってほしいなんて、生まれた時から微塵も求めてなどいないのに。それなのに、どうしてこんなに、そのあたたかさが懐かしいんだろう。泣きそうだ。


「そうだ。ひとつ、自信を持って言うとすれば、」


そこまで言って、彼は私と視線を合わせた。視界がぼやけて、彼の顔はよく分からない。


がどこにいても、オレ達は今まで通り、・・・いや、今まで以上に、を守っていく。やっと手が届いたんだ、オレ達のエゴかもしれないけど、それくらいさせてほしい」


ほろりと、ついに涙がこぼれてしまった。そのひと粒にならって、まるで決壊したかのように、次から次へとこぼれ落ちていく。もう本当に、彼がどんな顔をしているのかもわからないし、自分がどれだけ酷い顔なのかもわからない。ただひたすら、漏れる嗚咽も隠せないまま、私は泣いた。

あたたかかったものが突然その温度を失い牙を剥いたときの絶望感を、私も彼らもよく知っている。それから私はひとり、その絶望感を乗り越えられずに、もう二度とそんな気持ちにならなくていいようにと、あたたかいものに目を背けて逃げてきた。それから彼らは、その絶望感を分け合い、乗り越えるための強さを手にして、自らあたたかさを選んできたのだろう。たったそれだけの、大きな違いだ。

だけど今、もうひとりじゃないんだと言われたような気がして。

頑なに彼らを拒んでいたのは、私がひとりで、彼らがあたたかかったからだ。手のひらを返されないようにするには、最初から手のひらなど見なければいいと。温度を失わないようにするには、最初から温度など無ければいいと。そうする他に術がなかった私に、彼らは新しい景色を見せてくれようとしている。生きていて良かったなんて、遠い記憶でしかない色褪せた感情が、少しずつその色を取り戻しつつある。要は、でも、それが怖いのだ。目の前の彼が差し伸べる手をためらいなくとれたら、それこそどれだけ“幸せ”だろう。そんなことを考えている私は本当に現金で、でもそれができずに、あたたかい向こう側の景色にまだひとりで怯えている私は、本当に弱い。


「っ、・・・本当に、」
「・・・本当に?」
「も、う、・・・ひとりじゃなくて、いい、の・・・?」
「当たり前だろ、これからはオレが、オレ達がついてる」


そんなの、訊いたところで彼は肯定するに決まっている。そんなことが訊きたいわけじゃなく、伝えたいことも他にあるのに。なのに、ダメ押しのように、肯定してほしかった。そして、彼の言葉に、心底安堵したかった。

たまらなくなって、泣き声を上げる。すがるようにしがみつく私を、ディーノはしっかり支えてくれていた。あたたかい彼を拒む理由は、ついになくなってしまった。