清々しく晴れた、綺麗な夜だった。





時が経つというのは早いもので、俺がと巡り会って、もう5年。あの雨の日、もしオレがあの公園を通らなかったら、今の生活は何もかもが成立していないだろう。

きっと、この瞬間も。










泣きやんだが発した言葉は、素直にオレを驚かせた。というより、最初は『もう付きまとわないでくれ』と言われてるのかと思って、内心冷や汗をかいていた。


「もう、私の幸せの責任を負うなんて、考えなくていいから」
「・・・・・・えっ?」
「自分が幸せかどうかは、もう、自分で感じられるから」
「と、・・・それってどういう・・・?」
「ディーノ達が、ついていてくれるなら、・・・大丈夫だから」


そう言って、今度はオレをあやすように、ぎゅっとオレを抱きしめた。いつからバレてたんだろう・なんて考える隙もなく、オレはすっと肩の荷が下りるような感覚を覚えた。

何も失わないようにと、強さを手にしたつもりでいた。大切なものを守らなければという使命感の裏で、実は、不安で不安で仕方がなかった。自分たちがやっていることは正しいのだろうか、彼女は幸せなのだろうか、彼女の母親は何を思っているのだろうか。オレ達の存在で、これから、彼女は幸せになりうるのだろうか。そういったことが影のようにつきまとう日々。のことだけじゃない。ボスとして、大切なファミリーを守っていくことを考えるたびに、背後にぽっかりと大きな穴が口を開けて待っているような心持ちだった。

言葉一つで、実際に不安や重圧から解放されるわけではない。だけど、(オレの気持ちを見透かしたのかそうでないのかは分からないが)『大丈夫』とはっきり言ったに、オレはその時確実に救われたのだった。











キッチンで夕食を作っているに、後ろから抱きつく。オレと同じシャンプーの匂いがした。


「ディーノ、パスタ茹ですぎちゃうじゃない」


なあ、いつからだったっけ。こんなにが愛しくなったのは。オレがこうやって抱きしめることを、が受け入れてくれるようになったのは。もうオレは、最初からそうだったって言ってもいいとすら思ってるんだ。





に、言いたいことがある。今すぐ、言いたいことがある。でも、まだ我慢。が作った夕飯を食べて、オレが買ってきたトルテを食べて、美味しいエスプレッソでも飲んで一息吐いた、その後で。

に、今さらかもしれないけれど、伝えたい事がある。




















光陰矢のごとく、ディーノと巡り会ってもう5年になる。もしあの日、雨が降っていなかったら、私が公園に入らなかったら、今の私はまだ、街中を一人でフラフラしているのだろう。

きっと、この瞬間も。










私がキャバッローネのアジトで暮らすようになってからしばらく経ったある日、何か言いにくいことを言い出したそうな顔つきで、ディーノが戻ってきた。彼のそういう不器用にまっすぐな所を、愛しいと思い始めた頃だった。


「おかえりディーノ。どうしたの?変な顔よ」
「変って、お前なぁ・・・」
「ふふ、だって本当なんだもん。何かあった?」
「あー・・・、まあもう昔のことといえばそうなんだけどさ、―――」


彼が『の父親が虐待に走った原因が、分かったかもしれないんだけど・・・』と言いにくそうに話し始めたのは、私の母親の人工授精の話だった。子宮に腫瘍を抱えた体では普通に妊娠できなかったらしく、医者にもかなりのリスクがあるといわれながらも、彼女は人工授精の道を選んだようだった。そして更に言えば、私を5歳まで(一応)育ててくれた男は、実の父親ではなかったことまで判明したのだ。母は、父にすら、腫瘍や人工授精のことを相談していなかった。ひとりで悩み、ひとりで決断し、ひとりで最期を迎えた。それが私の母親で、ディーノの父が率いたキャバッローネファミリーの一員、・ローサだった。

父親は、その事実をどこかの時点で知ったのだろう。彼は本当に母を愛していた。短い時間しか共に過ごしていなくても、それはよく伝わってきた。深く母を愛していたからこそ、母の孤独な決断が許せなかったのかもしれない。そして結果として、怒りとも悲しみともつかぬ感情の矛先が、私に向いたのだろう。

とにもかくにも、どこの誰とも分からない冷凍保存されていた誰かの遺伝子を、私は受け継いでいるのだ・という事実を知って、驚きこそしたものの、マイナスな感情は特に覚えなかった。むしろディーノの方が私を憐れみ、やたら気を遣っていて、それが少し面白かったのを覚えている。


「その、なんだ、・・・が誰であったって、オレはと出会えてよかったと、」
「ぷっ、無理にできない気遣いしないの!」
「なっ、オレはただ・・・!」
「いいのよ、何だったってもう。だって、私は今しあわせだから」


そう言ってにっこり笑ってやれば、一瞬ぽかんと呆けていたディーノの顔が、みるみるうちに喜びに満ちたあたたかい顔に変わっていって。そしてその直後、私を抱きしめた彼はこう呟いたのだ。


「良かった、、良かった・・・」


それから1週間もたたないうちに私とディーノは恋人同士になるのだが、それはまた別の話。











キッチンで夕飯の支度をしていると、必ずと言っていいほどディーノが抱きついてくる。私が選んだシャンプーの匂いがした。


「ディーノ、パスタ茹ですぎちゃうじゃない」


ねえ、いつからだったのかしら。私たちがこうやって同じ時間を過ごすって、まるで大きな力で決められていたかのようで。パズルのピースがぴたりとはまるように、そう、私たちはこうあるべきなんだろうと確信できるあたたかさが、ここにある。





二人で向かい合って夕飯を食べられること。笑いながらディーノの買ってきたトルテを頬張ること。囁きながら美味しいエスプレッソを飲むこと。そういう普段通りのことを噛み締めて満たされる私は、幸せ以外の何ものでもない。




















と恋人同士になってから1年ぐらい経った頃に、周りの輩の冷やかしがどうにも我慢ならなくなって、アジトの敷地内に二人で暮らせる小さな家を建てたのだった。男はいくつになったって、やっぱり自分の好きなものは自分だけのものにしておきたいもので。それでいて見せびらかしたくもあるもんだから、男って生き物は本当に面倒でしょうがない。まあ全ては、のことを愛しているからなんだけど。

二人分のコーヒーカップを片付けて居間に戻ってきたに、手招きをする。近付いてくる彼女の手を引いて、オレの膝に座らせた。


「どうしたの?」
「いいから。ちょっと目、瞑って」


『何するの?』と笑いながら目を瞑るに口付けて、『右と左、どっちがいい?』と尋ねた。は少し迷って、左と答えた。


「よし、じゃあ、左手見てみ」


そう言うオレに怪訝そうな顔をして、は、瞑っていた目を開けて自分の左手を見た。


「・・・・・・見た、けど・・・いつもの私の左手だよ」
「そうだよな、のはな。だけど、二人いれば左手はもう一つあるんだぜ」


オレは、の前に自分の左手を差し出した。がきょとんとした顔で、ゆっくりと、オレの手を開く。


「っ!これ・・・!」


予想通りの反応に笑ってしまったが、はもうそれどころではない様子で。手にとってみたはいいけどどうしていいか考えあぐねているらしいから、ソレを一旦拝借して、ちゃんと彼女の左の薬指にはめてやる。気付かれないようにこっそり、色んなショップに立ち寄って決めた、マリッジリングだ。サイズがぴったりで、ひっそり安堵の息を吐く。


「ディーノ、・・・」
「おっと、泣くのはまだ早いぜ」


既に泣いてしまいそうなを膝から下ろして、今度は向かい合うようにして座らせる。

さっきも言ったけど、男ってのは本当に欲張りで面倒で、それでいて単純だ。オレだけのものにして、見せびらかすのに、一番手っ取り早い方法は何だろう。オレも幸せで、も幸せになれる、一番分かりやすい方法は何だろう。答えは簡単だった。実は結構前から考えてはいたんだけど、ファミリーのことなどまあ諸々あって、もしかしたら待たせてしまったかもしれない。それか、そんなこと微塵も考えずに、単にオレのそばで笑っていてくれたのかもしれない。心配もかけたし不安にもさせたし、心配もしたし不安にもなった。どちらにせよ何にせよ、彼女が愛しいことに変わりはなく。彼女がオレを、キャバッローネも含めて丸ごと愛してくれていることも、変わりのない事実で。そう、今からオレがに伝えることは、単純明快なこれからの二人の事実。だといいなあ。なんて。

ずっと言いたくて、伝えたくて、今日まで我慢してきた言葉を、ゆっくりとオレの口が紡ぐ。




















「結婚しよう、。この先もずっと、オレと幸せでいてほしい」




















の瞳から、あの日みたいに、大粒の涙が零れ落ちた。たまらなく愛しくなって、そのまぶたにオレがキスを落とすまで、あと少し。