ずっと昔から大切だったもの。





「・・・忘れてた・って、顔してるぜ、ボス」
「忘れてたっつうか・・・どっかで見た顔だとは思ってたんだけど、まさかなぁ・・・」
「まぁ、何というか奇遇だな。彼女は微塵も知らないようだが、伝えるのか?」
「あー・・・・・・うん、まあ、それはちょっと考えさせてくれ」


ブルータスに礼を言って、オレは部屋に戻った。ゆるくソファに身を預けていたが、そっと目を開けて頭をもたげた。その瞳は、どことなく不安げに揺れている。

何も知らず普通の世界で過ごしていた彼女をここまで連れてきてしまったのは、紛れもなくオレだ。それが偶然なのか必然なのか、はたまた彼女の星回りがそういう運命なのかは知らないが、彼女がここにいることはおそらく望まれた結果ではないだろう。オレは、彼女の母親に、どういう顔向けをすればいいのだろうか。


、眠ぃんなら部屋に戻って眠っていいんだぜ?」
「・・・・・・うん、でも、眠くはないから」


は、やはり不安を湛えた瞳でオレを見ている。それがオレの庇護欲求をくすぐるのか、本来ここにいるはずのない彼女がここにいることに少なからず感動しているのか。オレは、やはりに、ここに、オレの手の届くところにいてほしいと思っている。何故だろう、あの公園で出会ったときから、ずっと。

彼女の母親が亡くなったという知らせは、当時のオレにはとても大きなショックだった。生まれた時から死と隣り合わせの世界にいて、幼いながら死に対してある種の慣れがあったのにもかかわらず。そういえば、彼女はオレをいつも傍で守ってくれていた。何故だろう、泣きそうで仕方がない。

が咀嚼できるかどうかは別の問題として、今までを陰ながら見守ってきたファミリーのボスとして、無性に、ひとつ昔話がしたい・と思った。


「眠くねぇなら、ちょっとオレの独り言につきあってくれ。独り言だから、相槌もいらないし、感想もいらない。忘れてくれたっていい」


ソファの上のが、曖昧に首を縦に振るのがわかった。オレはに微笑んで、ゆっくりと口を開いた。


「昔キャバッローネに、ある凄腕のスナイパーがいたんだ。若くて凛々しい女性だった。彼女はその腕を買われて、若いうちからボスの警護を担当してた」










どういう経緯で彼女がマフィア界に足を踏み入れたのかは知らない。だけど彼女は、本当に腕が良かったんだ。一度だけ実戦で彼女の狙撃を見たことがあるんだけど、といってもその時オレは3歳とか、そのくらいだったかな。さすがに詳しい情景は覚えてなくて、それでも、あの感動は覚えてる。彼女がいるなら、オレ達は最強だ!なんて、本当に思ったし、そう思ってたのは何もオレだけじゃなかった。ファミリー全体が彼女を信頼し、ファミリー全員が彼女を愛してた。

そんな彼女が、オレが4歳になってすぐぐらいだったかな、子どもを授かったんだ。マフィアではない、一般市民の男との間に。彼女の口癖でさ、子どもがほしい子どもを産みたい子どもを産むまでは死ねないって、よく言ってたもんだから、そりゃあファミリーはみんな喜んだ。オレもだ。とてもとてもおめでたい話で、彼女も幸せそうで。だから当時のボスも、彼女がお産のためにキャバッローネを離れることを、惜しみながらも快諾したよ。彼女はここを出て相手の男と住み始め、それきり、キャバッローネには情報は入ってこなくなった。オレ達も彼女の幸せに波風を立てないよう、むやみに詮索しなかった。お産が終わり、子どもがある程度育ったら、彼女は戻ってくるものだとばかり、思ってた。

オレ達が彼女の死を知ったのは、彼女が我が子を産み落とした次の日の新聞、片隅の小さな記事でだった。彼女はずっと黙っていたんだ、子宮に腫瘍があって、もしかしたら子どもは産めないかもしれないってことを。それは、負担をかければ命も落としかねない危険な爆弾だってことも。それをずっと抱えて、ボスを守りファミリーを守り、そして生まれ来る我が子の命を守って、亡くなっていった。小さな記事だったけど、オレ達にはとても衝撃的だった。みんな泣いたし、みんな悔しがってた。何でだろうな、争いの中で仲間を失うよりも、自分たちが不甲斐なくて、不条理に思えてさ。すげえ悔しかったよ。オレが5歳になるかならないかの時だった。

オレ達はひとしきり悲しみにくれて喪に服したけど、いつまでたってもこれじゃあ彼女に面子が立たねぇなって話になって。彼女は望まないことだったかもしれないけど、直接的な関わり合いは絶対に持たないことを第一条件にして、キャバッローネは、それから彼女の子どもと父親をこっそり見守ることにしたんだ。そうだな、具体的に何をしたかっていうと、直接的ではない方法で、例えば彼らが住む街を統治下に置き、治安を良くしたり病院設備を整えたりした。たった一人の人間の死で、マフィアのファミリーがここまでするなんて、馬鹿げてるし冗談だ・って思うだろ?でも、ファミリーの人間は誰もが真剣だった。それだけ彼女は、彼女が遺した新しい命は、愛されてたんだ。当の本人には絶対に気づかれないようなところでな。

だけど直接的には関わらないと決めたことが仇となって、その子どもが父親から虐待を受け始めた時、オレ達は救ってやれなかった。父が娘に理不尽な暴力をふるうなんて、その子にとっても父親にとっても幸せなはずがないのに、オレ達はそれを見て見ぬふりしかできなかった。虐待は家庭の問題で、地域でどうにかできることじゃないってな世論だったのもあって、行政からも太刀打ちできなかった。その子は約1年、父親の暴力や暴言、粗雑な扱いに曝された。オレ達は約1年、見て見ぬふりか、良くて無駄な足掻きだった。

そんな折、その親子にある事件が起こってな。今となっちゃ父親の気は知れないが、部屋に娘を閉じ込めたまま、父親がそのアパートに放火して行方をくらましたんだ。火事の通報が入り、火元がその親子のアパートだと分かった瞬間の、オレ達の肝の冷えようったらなかったぜ。こんなことでまた失ってたまるか、って、そう思ったのは今でも覚えてる。すぐさま消防隊と救護班を向かわせたよ。オレも現場に急行した。到着したとき、まだ中に子どもが取り残されてる状況で、救出作戦が練られてた。けど、そんなのオレ、待ってられなくて。ていうか、当時オレに家庭教師のリボーンって奴がいてな、その場にそいつも一緒に行っててさ、そいつに尻に火を付けられたってのもあるんだけど。水も防火服もかぶらずに、その子がいる火元の部屋に突っ込んでったんだ。今思えばむちゃくちゃだけどな。で、勇猛果敢にも玄関に突っ込んでって、そこでオレが見たのはさ、その母親と同じ凛々しい眼差しでこっちを睨みつけてる、ずぶ濡れの女の子だった。










「・・・・・・覚えてるか?、オレ達は一度出会ってるんだぜ」


驚いたような、悲しんでいるような、信じられないものを見るような目つきで、はオレを見ている。何か言いたげに唇が微かに動いているが、声が発せられる気配はない。


「オレは、忘れちまってた。って言うよりは、いま目の前にいると、オレ達の愛する仲間の忘れ形見“”とを結びつけて考えられなかった、の方が正しいかな。まあ、どっちにしろ情けない話だぜ」
「・・・・・・・・・」


苦笑して見せても、の表情は変わらない。そりゃそうか、信じろという方が酷だ。そう思いながらも、信じてほしいと思わずにいられない。何も嘘をついているわけではなく、本当に本当の話、彼女の母親はキャバッローネファミリーをかつて支えた大切な仲間だったのだから。そして、今ここにいるを見守り続けようと前代のボスが決めたことを、今受け継いでいるのは、紛れもなくオレ自身なのだから。さらに言えば、そういった思惑を超えてに惹かれ、うっかり彼女に手を差し伸べてしまったのは、正真正銘ここにいるディーノ自身なのだから。


「直接関わらないって決めごと、オレが破っちまったし、残念ながら独り言も聞かれても広義ではキャバッローネの仲間だってこともバレちまったし、」


自分がもはや何が言いたかったのか、何を言うつもりなのか、よく分からなくなっている。だけど、すらすらと口を衝いて出る言葉たちが、オレの本心を伝えようとしているのは感じられる。の瞳にじわりとたまっていた涙がついに、ひと粒の雫となって頬を伝ったのが見えた。ああごめんな、泣かせるつもりじゃなかったんだ。どっちかと言えば、オレ達はの味方だってことを分かってほしくて、ここは危険な場所じゃないってことを分かってほしくて。


「・・・あと、これは本当に気の毒な話だけど、実はのお父さんはもう亡くなっちまったし、あと何だ、も施設を出てからは定まった家も持ってないようだし、さ、」


今自分の口から出ようとしているオレの本心が、とても傍若無人で都合のいい話だってのは分かってるつもりだ。の気持ちは完全に無視して、キャバッローネ的に態の良い、あと俺にとって少なからず喜ばしいような方向へ、話を進めようとしている。極端な話、ここまで来た以上は、ここにいることがにとって一番安全ではある。しかし、それが彼女にとって“幸せ”であるとは限らない。いくらオレ達が仲間として愛していても、彼女がそれを受け入れられる保証はない。彼女の母親は、今どんな顔でオレを見ているんだろう。


「トマトソースのペンネ、約束してるしさ、・・・・・・」





「だから、、・・・ここでオレ達とすごさないか?」