暗くて狭い所が、怖い。





ディーノは私を快く部屋に案内してくれて、その上ホットミルクまでふるまってくれた。ホットミルクなんて、今の今まで存在しか知らなかった。恐る恐る口に運んだそれは、当然のことながらあたたかかった。


「落ち着いたか?」
「うん・・・ありがとう」
「ハハッ、これくらいどうってことない」


そう言って笑うディーノはすごく穏やかで、綺麗で、マフィアのボスだなんてこと、すっかり忘れてしまいそうだった。のだが、部屋のドアをノックする音と、それに続いて聞こえた『ボス、いいですか』の声に、現実に引き戻される。そうだった、ついに私は、マフィアの本部にまで足を踏み入れてしまったのだ。


「ブルータスか、今オレがそっちに出るから待ってろ」
「了解」


私の予想に反して、彼は部下の呼び掛けに対して、そちらへ出ると答えた。別に部下の要件が何であろうと私は全く興味がないけれど、何となく、心持ち寂しくなる。そんな私の心情を察したのかそうでないのか、ディーノは『すぐ戻る』と言って私の頭を撫で、そのまま出ていった。

しかし、よくよく考えてみれば、それもそうだ・と思う。彼はマフィアのボスで、私は彼の街の一般市民で、あの人の良さそうな彼のことだから、裏社会の話は私の前ではしない方がいいと踏んだのだろう。そうじゃなくても、おそらくここには機密事項が溢れている。一般市民とは言え、聞かれたくないことだって山ほどあるに違いないのだ。

そう勝手に自分を納得させて、ディーノの帰りを待つべく、柔らかいソファに身を沈める。なんだか、一度に沢山のことが起こったような気がする。疲れた。眠りたいわけではなかったけれど、私はゆっくりと目を閉じた。




















母は、私を産んですぐに息絶えた。弱い体に鞭を打って、私を生んでくれたらしい。私は、写真でしか顔を見たことがない母が大好きだった。

父は、良く言えば厳しい人だった。礼儀作法は勿論の事、私が行く学校や友達に対しても。悪く言えば、自分の理想を他人に押し付ける人だった。そんな父でも、私は大好きだった。そう、今もきっと、心のどこかで。





当時私は4歳だった。その日、父はやけに遅く帰ってきた。お手伝いさんと一緒に、本を読みながら父を待ったのを覚えている。父と一緒にお風呂に入って、10まで数えるのが私の日課だったからだ。車の音がして、私は喜んだ。玄関まで走っていって、父を迎えた。ドアを開けて入ってきた父は、いつもと違った雰囲気だった。目が虚ろで、足取りは覚束無い調子だった。

父が帰ってくると、お手伝いさんは帰る事になっていた。私は、父と二人きりになった。いつもと違う父を心配して、私は父に尋ねようとした。


「バッビーノ、だいじょ・・・・・・」


そこで、私の言葉は途切れた。父が私の頭を殴ったからだ。何度も何度も、殴られた。泣き叫ぶ暇など、父は与えてくれなかった。飛んでくる拳の間から見えた父の顔を、当時の私は、悪魔という以外に形容する言葉を知らなかった。





その日を境に父はお手伝いさんを解雇し、女を連れ込むようになった。決して狭くはなかったはずの集合住宅の中、私の居場所は無くなった。父は事に及ぶ前、必ず私を掃除用具入れの中へ放り込み、ご丁寧にガムテープで戸を塞いだ。カビ臭い小部屋の中、光の入る窓などは無く、咳と窒息、恐怖と閉塞感、それらとの戦いだった。毎日毎日毎日毎日、その繰り返しだった。酷い日は、女の喜ぶ声が半日程続いた事もあった。『どうしてこんな事をするの?』と尋ねたら、殴りに殴られながら『お前の所為だろう!』と怒鳴られた事もあった。

食料は、かろうじて与えられた。かびたパンであったり、危なげな匂いのする生野菜だったりはしたが、それでも何もないよりはマシだった。父も、四六時中怒鳴り散らしていたわけではなく、何かしら機嫌のいい時や泥酔している時などは大人しくしていれば何もされなかった。




そして、私が5歳になった日、事件が起こった。その日もいつもと同じように私は掃除用具入れに放り込まれ、密閉された。女の喜ぶ声にも、父の呻き声にも、慣れてしまっていた。その当時の私には、その声が意味する所など知る由も無かったのだが。

数時間が経って、女が出て行く音が聞こえた。ここから出られる。そう思った。それが常だった。でも、その日は違った。

いつまで経ってもガムテープの剥がされる音がない。戸を引いてみても、ぴくりとも動かない。おかしい・と思った。父が居る気配もしない。その代わりに、妙な音がしていた。パチパチと、何かが弾けるような、そんな音だった。おかしいと、思った。暑いのだ、どうしようもなく。いくら6月といえども、尋常な暑さじゃなかった。着ていたシャツは湿り、鼻筋をつたって滴る汗は、もう随分と長い間使われていない雑巾に染みを作っていった。

そしてついに、おかしさの理由が分かった。誰かが大声で『火事だ!』と叫ぶ声が聞こえたのだ。

私は叫んだ。私がここにいる事を、誰かに知ってもらう為に。助けてだとか、開けてだとか、出してだとか、そんな事を叫んだ。なのに、いくら叫んでも誰も助けには来てくれなかった。戸が、隅の方から燃え始めた。

私は思った。助けに来てくれる人が居ないなら、自分で脱出するしかない。でもどうやって?私は考えた。拙い脳みそを使い果たして、ある考えが浮かんだ。

火には水を。単純に、それしか考えられなかった。それじゃあ、水はどこに? 掃除用具入れの隣は、利便性も考えてか洗面所や洗濯場となっていて、狭くはないが新しくもなかった家のその小部屋に、毎日入っていて気付いた事は、この部屋と隣の水場の間の壁に水道管が通っているということ。また、その壁がところどころ湿気で腐食しているということ(建物自体は石造りだが、どうやらここは木で後から組まれた小部屋なのだろう)。もし、この壁を破ることができれば。もし、この壁の向こうの水道管を破ることができれば。炎は、まだ戸の方からしか迫ってきていなかった。

今思えばよく機転が利いたというか、むしろ奇跡に近かったんじゃないかとも思うが、腐食した壁は足蹴にすれば簡単に破れ、その先の水道管は長い年月のおかげでひび割れがあり、そこから水が滲み出ているのが確認できるほどだった。さすがに水道管は蹴っても殴っても割れなかったが、掃除用具入れのありとあらゆる硬いものを使って必死に叩き続ければ、短時間であっけなく壊れた。勢いよく溢れ出した生臭い水を幸か不幸か頭からかぶった私は、戸を確認して希望を見出す。隅から燃え始めていた戸が水によって鎮火され、燃えて脆くなった部分からどうにかすれば、外に抜けだせそうだったのだ。溢れ出た水は戸の外へも流れ出しており、まだまだ暑く何かが燃えている音は絶えず聞こえていたものの、目視できる範囲の火は消えかけていた。

カビ臭いモップで、戸の炭になった部分を破っていく。ドアノブが無機質な音をたてて床に転がったのを確認して、私は最後の力を振り絞って戸に体当たりした。思いの外あっさりと開いたおかげで勢いづいた私の体はごろりと廊下を転がり、危うくまだ轟々と燃えている火の中に突っ込んでしまいそうになったが、すんでのところで踏みとどまったのはそれもやはり奇跡だったのかもしれない。廊下の先の玄関を見やれば、そこはまだ火が燃えていたが、床がコンクリート打ちであったため、突っ切ればどうにか抜け出せると思えた(というより、そう思わざるを得なかった)。掃除用具入れにあったバケツを水でいっぱいにして、念のためもう一度頭から水をかぶり直して、私は玄関を見据えた。





そこからの事は良く覚えていない。ただ思い出せるのは、翌朝、病院で目を覚ました私に看護婦さんが新聞を読んでくれたこと。一面に、私が住んでいたアパートの燃えている写真が大きく掲載されていた。