正直、寝るのは怖い。




ふと、目が覚めた。既に陽が高いのだろう、周りは随分と明るかった。しまった、寝てしまった。勢いよく上体を起こし、周りを眺める。どれくらい寝てたんだろう。居間の方で、微かな音がした。


「よっ、よく眠れたか?」


居間のドアを開ければ、その音に反応して彼が言った。私の視線の先に、満面の笑顔の彼がいた。


「お粗末だけど、朝、も食うだろ?」


そう言いながら、彼は慣れていないのか不恰好に準備をしていく。時計に目をやれば、午前11時だった。


「・・・・・・学校、」


溜息と一緒に漏らした私の声を聴き取ったのか、彼は笑いながら言った。


「何言ってんだ、今日はドメニカだぜ?」


ハムを焼く匂いが漂ってきた。危ないと、思った。


***


何でもないと言いながら涙を零す私に、彼は少し呆れた様子だった。彼はそれ以上何も言わない私の腕を引いて、私を寝室まで連れて行った。

―――――ああ、やっぱり

私はそう思いながら、彼について行った。


「ほら、ここ使えよ。も眠ぃだろ?公園にいたんだって、寝床探してたからじゃないのか?って、あれ、じゃあオレに相当無理させてんな!眠かったろごめん!」


彼は微笑んだり焦ったりの百面相をしながら、そう言った。私は、首を横に振った。温かいシャワー、淡く香る柔らかなバスタオル、整然として落ち着いた高級そうな部屋、ふるまわれたホットココア、ディーノと名乗った、おそらくはここら一帯を治めるキャバッローネファミリーのボス、その笑顔。 これ以上世話になる訳にはいかなかった。私は彼に危機感を感じていた。

―――――これ以上、ここにいてはいけない


「・・・私もう帰るから」
「どうした?明日、何か大切な用事でもあんのか?」
「・・・・・・・・・・・」
「オレはいいぜ、泊まってけよ。安心しろって、何もしねぇからさ」


なおもそう言う彼に、私はもう一度首を横に振った。そんな私を見て、彼は少し困った顔をした。私の胸に罪悪感が芽生えた、その次の瞬間、私の体は宙に浮いた。彼に、抱き上げられたのだ。 彼はゆっくりと私の体をベッドに下ろし、私に布団をかけながらこう言った。


「俺はに寝てほしいんだって。疲れてんだろ?顔に書いてる」


その言葉に、閉じ込めていた筈の睡魔がどっと顔を出した。眠りたい・と心底思った。彼は、私の頭を二回撫でながらもう一度『明日の用事は?』と聞いた。私はやっとの思いで首を再び横へ振り、そのまま眠りに引き込まれていった。ぼんやりと、彼が笑った。



***


援助交際という物には、いくつかの種類がある。
体を売る、下着を売る、写真を売る、楽しいひと時を売る、客のニーズに応じて売る、自分で決めたものだけ売る。
金を欲する理由にも、いくつかの種類はある。
誰かに何かを買う為、自分に何かを買う為、大金を貯める為、大金を持つ為、生計を立てる為、娯楽を手に入れる為。

私は、生計を立てる為に、楽しいひと時をだけ売っていた。汚い男共に、体を売ってやる気などさらさら無かった。というよりも正直な話、寝るのが怖いのだ。寝るという行為自体が、私にとっては恐怖でしかない。女が男に敵うわけがないと、そう言われているような気がして、吐き気がするから。 幼い頃の記憶が、甦るから。

彼に手を引かれて部屋まで連れて行かれた時、これは体を売るのも覚悟しないといけないな・と思った。それと同時に、どこかで逃げられるかも・とも思っていた。でも、ディーノという名前を聞いた瞬間、不本意だけど覚悟は決まった。

路地裏で汚れたことをやっていれば嫌でも耳に入る。あのボンゴレ傘下で着々と勢力を伸ばし、今やひとつの街を統治するまでになったキャバッローネ。私にはマフィアとかいう世界の勢力図なんか関係ないし興味もないけれど、この街を以前に比べて大分マシにしてくれたのはこのファミリーだと聞いた。 それだけ過激なのだろう、裏では。ディーノという青年は、私の記憶が正しければキャバッローネのボスで、私の認識が正しければ私は畏れ多くもボスのお部屋にお邪魔していることになる。逃げようなんていう選択肢が浅薄なのは明らかだった。上手くいけば暫くは売らなくてもいいかもしれない。 そう自分に思い込ませて、過ぎる時間を耐えた。

でも彼は私を抱かなかった。それどころか、私の疲れに気付いて、ベッドまで譲って私に睡眠時間をくれた。私の頭を撫でてくれた。あたたかかった。全て演技かもしれない、いや絶対そうだ・と思った。でも、それでもいいとも思う自分がいた。

安心、した。


***


・・・・・・?」


彼の声が聴こえて、はっと我に返った。心配そうな彼の顔が視界に入った。


「朝飯できたけど、大丈夫か?」


そう言う彼を見て、『ああ、ここは危ないな』と思う。例えそれがうわべだけでも、私にはあたたかすぎる。