アーロの存在は、最近のオレにとって結構、いや相当に好都合だ、色んな意味で。がしかし、そいつも今は、ここにはない。つい先程、一蓮托生と決めた相方を唯一無二と認めた相方に問答無用で没収され、どうしたモンだか・と溜息を吐く。いつもと同じはずのトレーニングルームが、いつもより広く感じた。

何もしないままいつまでもここに居るわけにもいかず、とりあえずトレーニングルームを後にしながら、気付けば喚いていた腹の虫の機嫌を先にとるか、それとものもとへ向かうか、そればかり考えていた。




lilywhitestrawberry




事の起こりを、オレはまだ理解していない。オレはいつも通りに、今日も朝からアーロと刃を交えていた。しかし普段と違ったのは、オレの額にうっすら汗が滲んできた頃、聴き慣れた足音が感じ慣れた気配を連れて、トレーニングルームに近づいてきたことだ。戦いは止めないものの、 オレもアーロもその気配の動向に気を巡らせているのが、お互い分かっていた。その気配はトレーニングルームの前で一旦止まり、その一拍後、扉が静かに開けられて、そこから予想通りの人物が顔を覗かせたのを視界の端で確認した。ひとつ、短い舌打ちが漏れる。


「スクアーr「う゛お゛お゛い、何しに来たぁ!危ねぇから入ってくんじゃねぇ!」


オレの名前を呼びかけたそいつに、目もくれないままオレは叫んだ。アーロは、やって来たもう一人の主人にいい所を見せたいのか、さっきまでよりも揚々と突進してくる。そしてオレ自身も、心なしか速くなった鼓動に気付かないふりをして、アーロを迎え撃つ態勢を整えた。 剥き出しにされた鋭い歯列を真正面に捉え、急速に縮まる互いの距離にもう一つ心拍数が上がったのを感じる。あと数センチで刃が触れ合う―――・・・という瞬間、アーロの体にまとわりつく蒼い炎がボッと一際大きくなり、急に方向転換したその巨体はふわりと宙を一回転して、 部屋の片隅に置いてあったはずの匣の中へと吸い込まれた。ぱたんと閉じた匣を開かないようにするかのように、はそれを掌に握りしめて、オレを一瞥する。その目が勘違いのしようもなく絶対零度で、オレはつい、喉から出かけた『どういうつもりだぁ、』という言葉を嚥下した。


「・・・う゛お゛ぉぃ、・・・・・・?」
「スクアーロなんか呼んでないわよ、この子に用があっただけ。ちょっと借りてくわ、お邪魔したわね」


合ったはずの目はすぐ逸らされて、踵を返したの肩口から、同じく絶対零度の声がする。その手にはアーロの入った匣と、アーロ達匣動物を操る時に使う小さな笛が見えた。明らかにただならぬ、というより確定的に怒っているその雰囲気に気圧されて何も返せないでいるオレを、 は一度も振り返らないまま、入って来た時よりも幾分か冷たい気配を纏って出て行った。残されたオレは訳が分からずしばらく立ちつくし、そして腹の虫が鳴いて我に返って、今に至る。

状況が把握できないにしても、の所に直行すべきなのは分かっているつもりだが、怒っている相手に理由を尋ねて許しを乞うている最中に無様な音を鳴らしてしまうのも戴けない。そういう誠実さや空気感を重んじるが相手だからこそ、オレは先に腹ごしらえをすることにした。


***


ダイニングの扉の真ん前まで来て、そのドアノブに手をかけたはいいが、そこからオレは動けずにいる。扉の向こうで、とルッスーリア、さらにマーモンが話している声が、不本意にも耳に入ってしまったからだ。そしてその内容が、とてつもなく心外なものだったからだ。


、それだけじゃスクちゃんがあなたを愛してないことにはならないわよぉ』
『・・・でも、・・・・・・・・・』
『僕もルッスーリアに同じだね。そう思うなら、他に何か理由があるんじゃないのかい?』
『・・・・・・・・・・・』
『言いたくないなら無理には聞かないけれど・・・』
『・・・・・・・・・スクアーロ、だって、最近私と過ごす時間、取ってくれないの・・・任務や仕事以外は、ずっとアーロとトレーニングでしょ?夜は私が帰らないといけないから、一緒にはいられないし・・・・・・』
『そう、それよ〜!アタシずっと不思議に思ってたの。どうして帰らないといけないの?スクアーロの所に泊まればいいじゃない、どうせ毎日来てるんだから』
『・・・・・・っ、で、でもそれもっ・・・!』
『っ!!ごめんなさい、無粋なこと聞いてしまったみたいね・・・』


遠くで籠って聞こえていたの声が一段とくぐもって、オレはが泣きだしたことを悟った。それも衝撃的で、オレは咄嗟に握っていたドアノブから手を引っ込めた。さらに一歩退き、泣き声が届かないのを確認して、 全く心当たりのない三人の会話によってさらに収拾のつかなくなった脳みそを整理しようと試みる。

まず、誰が誰を愛していないだって?自慢ではないがオレは心底に惚れている。彼女に直接言ったこともある、一目惚れだったのだ・と。ずっと気になっていて、でもはこんな業界にいながらとても無垢で、オレからはとても触れることはできなかった。しかし、様々なハプニングや幸運が積み重なって、 とオレが想いを通じ合わせることができたのが、ついこの間の(ように思える)話だ。それを契機にオレはに触れる特権を得たわけだが、それを得た所ですぐさま容易に振りかざせるほど、調子のいい人間ではない。そんな芸当ができるなら、とっくの昔に触れている。

いわば、オレはチキンなのだろう。それか、ヘタレかビビリか、そんなとこだろう。いや、さすがにキスぐらいはしたことがあるが、それ以上となると、どうしても手を出すことが憚られる。手を出したい衝動に駆られることは山々あるのに、だ。その勢いに任せて少しでも触れてしまったら最後、 職業的にも男女関係においても今まで汚いことしかしてこなかった穢れた自分のせいで、まだ男を知らないの無垢さを台無しにしてしまう気がして。本当は無茶苦茶にしたいぐらいの衝動を迂闊にぶつけて、彼女の体やその心、オレに対する気持ちまでもを壊してしまうことを怖れて。 なまじ自分が我慢に弱いことを知っているため、今のに対する自分の接し方は、自分でも驚いて笑えるほど純粋でストイックだ。実際笑えないのだが。

がしかし、三人の会話を聞けば、何だ、オレが間違っているみたいじゃねぇか。間違っているのか?オレは。壊してしまうのが怖い、台無しにしてしまうのは避けたい、アイツを守りたい、そう思って今までオレがしてきたことは、間違いだったのだろうか。オレの部屋に泊めるなんて以ての外じゃないか、 自分がそんな据え膳を食わずにやり過ごせるわけがないのに。二人になってしまうと、どこであろうとすぐにでも押し倒して彼女を全て貪ってしまいたい・と、体中が欲し始めるというのに。そんな淫らな本能を少しでも意識せずに済むように、最近はアーロといるしかなかったのだ。だが。

、お前はそれを望むのか?オレはこのままでいいのか?泣くほどつらいのか?を泣かせておいて、それでオレはいいのか?


「・・・ちっ、このクソがぁ!っ!!」


***


突然のオレの登場に唖然としていたのは、一人だけだった。まぁ、気配は殺してねぇが・・・と思ってはいたものの、こうも想像通りに『ああ、やっと入って来た』というような視線を感じると、若干ムカつくモンである。が、残念なことにルッスーリアやマーモンに当たり散らす余裕もなく、 ダイニングに飛び込んだ瞬間からうっかり目を離すことができなくなっていたの表情に、ひどく狼狽した。俯き加減で愁いを帯びていた顔がこちらへ向き、その瞳が驚きに見開かれたと思えばすぐ伏せられて、スッと、頬を耳に赤みが差す。そこに透明なものがひとつ伝って、落ちた。 その光景を美しいと思うよりも心苦しいと思うよりも先に、欲情してしまいそうになるオレは、やっぱり危険だ。

そんな事を思いながらの手を引いて、極力その顔は見ないようにしながら、無理やりダイニングから引きずり出して自室へと走った。自室のドアの内側にと自分を放り込んで、少し、息を整える。そこでやっと、もう一度を見やれば、頬に涙の跡を残したまま、俯いて短く息を切らせている。 走ったせいか、心なしか先程よりも頬が赤い。涙は止まっているようだ。薄く開いた唇が目に入って、オレは吸い寄せられるように、その顔を覗き込むようにしてキスをした。そのままグッと顎を持ち上げて、何度も、何度も、その唇にキスを落とす。我に返ったのは、キスとキスの合間に、 がか弱く漏らしたオレの名前が聞こえた時だった。

そして我に返って、オレは、しまった・と思う。が全く抵抗しないのをいいことに、つい、“もっと”と思ってしまった。その証拠に、初め彼女の顎にかけていた右手が、今はその胸の頂の手前、デコルテの上に乗っている。左手は、その腰をしっかりと抱き寄せている。自分で怖くなる、いつの間に・と。 慌てて右手を引き剥がし、誤魔化しついでに頬の涙の跡を擦った。


「・・・・・・オレのせい、だよなぁ・・・?」
「・・・他に誰のせいがあるのよ・・・・・・」
「っ、・・・すまねぇ、謝る。だから泣くんじゃねぇ」


はもう泣いてなどいないが、またその眦から何かが零れてしまうんじゃないかと不安で、オレはの頬に触れた手を離すことができずにいる。一方はと言えば、そんなオレをお構いなしに、俯いたまま何も言わずに抱きしめられている(嫌だ・と抵抗されなくてホッとしたのはここだけの話だ)。


「・・・・・・愛してるぜぇ、
「っ・・・!」
「不安にさせて悪かった・・・」
「・・・聞いてたの・・・・・・」


驚いたようにが身を竦める。オレは抱きしめていた腕を解いて、少し屈んでの顔を覗き込んだ。瞳はまだうっすらと涙の膜に覆われていて、オレはまた、くらり、となる。

でも、まだだ。コイツに触れるのはまだだ。この身の内にある全てを伝えて、その怒りが溶けてなくなるまで、待つ。もしからの許しが下りなければ、に拒絶されたなら、諦める。そう心に決めたのは、ダイニングの扉を開く一拍前だった。馬鹿馬鹿しいほどのストイシズムだと、自分でも思う。 だが、今のオレにはそれしか考えられなかった。ハッキリしておかないと気が済まない自分の性格も、勿論ある。しかしそれ以上に、今までにと口論したことも泣かせたことも1回や2回ではないのだが、今までのどれよりも、さっきのの涙の意味が、一番重いように思えたのだ。


「欲情すんだ・・・・・・オマエ見てたらなぁ」
「なっ・・・!」
「嘘じゃねぇ、今だって・・・・・・・・・・・・っ〜〜・・・だぁ!クソッ!」


いきなり語気を荒げたオレに、は遠慮なく驚き慄いて、目を丸くしている。オレだってそうだ。まさか、ここまで自分が言葉足らずでボキャブラリーに欠けていて表現力が少ないとは、驚くよりほかにない。ひとつひとつ丁寧に表現しようという試みは、ものの十数秒で失敗に終わった。 今ほど自分のコミュニケーションにおける不器用さを泣きたくなったことはないが、落ち込む暇もそんな気力もなく、荒げたままの声でオレは言った。


「知ってんだろうがぁ、オレぁそんなに賢くねぇ!いっぺん手ぇ出しちまったら、ちょっとでもオマエに触っちまったら、オマエが泣こうが喚こうが初めてだろうがなんだろうが、抑えが利く気がしねぇんだ!そりゃ今すぐにでも抱きてぇ!んなこたぁコッチはしょっちゅう考えてんだよ!だがなぁ! 全部やっちまった後でオマエに嫌われんのだけは、っ!・・・・・・・・・後悔すんのが見え透いてて御免してぇだけだぁ。・・・んなのは生まれて初めてだぜぇ、、オマエだけだ、大事なんだぁ・・・・・・」


勢いのまま最後まで言えなかったのは、おそらく目の前に居るの瞳に、徐々に涙が溜まっていくのが見えたからだと思う。そいつは見る見るうちに臨界点を突破して、大きな塊になってぼろっと零れた。堪らなくなって、オレは再びを抱きしめる。『スクアーロの馬鹿ぁ・・・・・・』なんて声が、 胸元で聞こえる。


「・・・泣くなぁ、どうしたらいいか困んだろうがぁ・・・」
「ほんと、・・・っ、ばか・・・!」
「う゛お゛ぃ、無視かぁ・・・?」
「ばか、ばかばかばか!きらいになるわ、けっ・・・、ないじゃない・・・!」


「、きに、好きにしてよ、!あ、あたしだっ、て、・・・あいしてるんだからぁ!」


ボロボロ泣きながら言うに、その分かりやすい言葉の意味に、ピシリと音を立てて固まったのはオレだ。本当にその言葉に甘えていいのかどうか、なんて、もう考えられない。いや若干考えてはいるが、もう風の前の塵に同じだ。それをきっと理性と呼ぶんだろうが、 背に回されたの手がぎゅっとオレの上着を握りしめた感覚がして、一瞬ゾクッと背筋が疼いて、固まったオレごと理性は脆くも崩れ去った。

自分の胸からの顔を引き離して、見開かれた瞳が閉じる前にキスをする。バードキスなんてそんな生易しいものはやっぱりできず、割れた唇の隙間から己の舌を差し入れれば、逃げることすらかなわなかったのそれと容易に絡んだ。とろけてしまいそうなほど熱くて、甘くて、心地よくて、夢中になって口付ける。 呼吸する間も惜しかったが、いい加減苦しくなってきて、そっと唇を離した。真っ赤な顔をしたと、目が合う。


「う゛お゛ぉぃ、知らねぇぞぉ、」


誰が何を知らないのか、自分でも知らないまま、気が付いたら言っていた。それを考えることすら邪魔くさくて、一息に抱えあげたに何度もキスをした。そしてまた気が付けば、ちゃっかりをベッドの上に押し倒しているではないか。どんだけだ自分・・・と呆れる気持ちは無くもないが、 キスの合間に見るがさっきから無言で幸せそうなので、もうきっと言うべきことはないんだろう。

の純真な笑顔に、口の端が無意識に上がる。
の無邪気な色気に、目が無意識に釘付けになる。

もう止まらねぇ。


「好きだ、