手をかけると、ドアノブはすんなり回った。

思いっきりドアを開け、部屋を飛び出して、マンションの階段を駆け下りる。こんな時に、エレベーターなど待ってはいられなかった。玄関ロビーを出て、近所迷惑だと思いながらも 『!』 と叫べば、すぐ左の方で 『なあに?』 と云う声がした。

思わず、思考回路が、止まる。

声の方を見遣れば、駐車場の縁石に腰を下ろしたがいた。


「隼人が出てこないかなーって、思って・・・ね」


ゆっくりと、言った。


「でも、結構寒くて・・・・・・だから、もう帰ろうと思ったら、隼人が出てきて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


外灯に照らされたの鼻は、赤い。


「迷惑な事してゴメンね、・・・もう、帰るから」
「・・・・・・・・・・・・・」


そう言って、は俺に背を向けた。

待って、まだ、行かないで。


「ちょっと、待てよ」
「・・・・・・・・・・・・何?」


は振り返らなかった。さっき玄関で考えて考えた事が、全て俺の勘違いなのだとしたら―――そう考えだして、途中でやめた。そんな事を考える為に、玄関で葛藤した訳ではない。自分の幼さに苦笑しながらも、何とか言葉を紡ぐ。言わなければならない事が、ある。


「あの日・・・あの卒業式の日、俺、に言えなかった事があるんだ・・・・・・時間はとらせねぇ、聞いてくれるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん、」


小さく聞こえたの声に、俺は深呼吸をして。


「すまねぇ・・・俺がガキだったから、の事、・・・・・・あんな事言うつもりじゃなかったんだ。・・・が、気持ち良く出発できるように、背中押してやらなきゃなんねぇ立場にいた筈なのに、・・・気の利かねぇ奴で、ホントすまねぇ」


一気に、喋った。近くて遠いその背中が、少し、小さく震えている。きっと、寒いのだろう。そしてきっと、泣いているのだろう。潰れるほどの胸の痛みには、もう、慣れてしまった。それでもまだ、痛いけど。


「・・・、聴きたくねぇなら・・・・・、耳、塞いでくれても構わねぇ・・・・・・・・・何ならもう帰るか・・・?」


そう言った俺に、は大きく首を横に振った。


「・・・・・・・・・悪ぃ」


こんな時さえ、こんな言葉しか思いつかない自分に、嫌悪感が募る。

そんな思いを振り払うように、また、自分自身を弁護してやるかのように、俺はに近付いた。あの日、出来なかった事の一つ。これで少し、成長できるだろうか。これもまた、勘違いなのだろうか。どうか、勘違いじゃありませんように。


「・・・なぁ、俺ら、その・・・あのクリスマスの時みたいに戻れねぇかな?俺、マジでどうしようもねぇんだけど、よ・・・・・・のこと、まだ好きなんだ。今更謝ったって、こんな事言ったって、許されねぇのは分かってる。だけど、やっぱ、ゴメン、・・・好き、なんだ・・・・・・・・・」


まで、あと1メートルという所で、足を止める。


・・・ありえねぇかもしんねぇけど、もし、もし俺を許してくれるんなら・・・・・・」


今にも、声が震えそうになる。でも、伝えたい。今にも、泣きそうになる。でも、伝えなくてはならない。


「・・・俺の方、向いてくれ・・・・・・」


厭な沈黙が流れる。それを破ろうと試みるけれども、口はもう、動かない。意気地なしの極みだ。この沈黙を破るのは、しかいなかった。


「・・・・・・・・・・・・・・隼人の馬鹿」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・アホ・・・」
「・・・・・・・・・・・・だよな」
「・・・間抜け・・・・・・」
「・・・そう、だな」
「・・・ほんと、バカ・・・・・・」
「・・・そうだよ、俺はバカだ。だけど・・・・・・、・・・だけどお前の事が、今までもこれからもずっと好きだ」










「・・・だか、ら・・・・・・そ、ゆー所が、馬鹿なんだってば・・・・・・・・・・」


そう、震える声が織り成した言葉は、振り返ったの、涙で濡れた小さな微笑みは、俺を安心させるには、十分で。もともと俺は、そんなに我慢強い方ではなくて。堪らずに、を抱きしめた。小刻みに震える体は、想像していたよりも小さくて、酷く、切なくなる。どうかもう、俺の為なんかに震えないで。どうかもう、俺の所為なんかで泣かないで。そんな、想いを込めて。


、・・・・・・」


と、俺がそう呼びかけた瞬間、は身を捩って、こちらを向いて、涙目で、俺を見つめて。俺は、その瞳を見て。

ほら、また、動かない。










「好き、隼人」










思わず、涙が溢れた。俺が聞きたかった、たったひとつの、言葉。もう、何もかもが、愛しくて、愛しくて。つい3時間前まで抱いていたこの街に対する敵意さえも、この瞬間を作り出す為の大切なモノに思えた。

人に想いを伝えるという事は想像以上に難しくて、時に、それがこの世で最も重要であるということを、俺は忘れることがある。彼女は、それを俺に思い出させてくれる唯一の人物だ・と、そう考えることが出来た自分に、少し、好感を持った。 その彼女が俺に、想いを伝えてくれたこと。俺はきっと、決して、この日を忘れないだろう。


「あぁ、・・・俺もだ、」










「・・・・・・、あいしてる」