それがあの指輪である事に気付いたのは、暫くしてからだった。










ある日曜の、午後の事。俺達は二人で街へ出かけた。


「わ、キレイ!」


そう云ってが立ち止まったのは、映画館の近くの小さい店の前。その瞳に映っていたのが、あの指輪だった。に、似合うと思った。


「へぇ、似合うんじゃねえの?」


そう、俺が口にすると、は眉間に少し皺を寄せて、


「駄目だよ隼人」
「何が」
「甘やかさないでね、ダメだよ!」


俺はもう、が可愛くて、嬉しくて。何が嬉しいかって、それは言葉では表し難いけど。思わず顔が、綻ぶ。


「な、何でそこで笑うの・・・!」
「いや、べっつにー」
「なっ・・・・・・だって!隼人は私を甘やかしすぎだよ!」


俺がはぐらかすと、いつもは小さな牙を剥く。そんな可愛い事をしてくれるから、余計に甘やかしたくなる。余計に、が喜ぶ事をしたくなる。この心境を、分かってくれないのだろうか。


「とにかく駄目だからね!それにもうすぐ隼人の誕生日なのに!」


そのの台詞を聞いて、あぁそういえば、と思い出した。自分がこの世に生まれた、その日の存在を。俺は9月生まれで、は7月。これは、俺が生きてきた年月の中、1日として、が存在しない日は無いという事を意味する。

・・・なんて、今日観た映画の中の女の子が、これに似た事を言っていた。ならば、こうするのはどうだろう。


「セ●チューの女の子も言ってたことだしな・・・」
「ん?何を?」
「(俺が生まれてくるまでの2ヶ月寂しかっただろうから、これからはそんな想いさせねぇよ)なんて言えるか!くそ、ほら行くぞ!」


俺は、『ちょ、隼人!?』と喚くを尻目に、その指輪を手に取ってレジへ向かった。











育った環境の所為だろうか、俺は足掻いても足掻いてもうまくいかないことが多い。タイミングが悪いのだろうか、気付いた時には、いつもドアはもう閉まりかけていて。そしていつも、足掻くだけで飛び込めない。もう少し冷静に行動していればきっと違う未来もあっただろうと、 いつも、後悔するのが分かっているのにも。と離れてからは尚更、俺は傍若無人に日々を見送るようになった気がする。どんなに足掻いて空を見つめても、雲が落ちてくる訳ではないのに。どんなにがむしゃらに笑顔を作っても、俺の居場所はどこにも無いのに。










「隼人、こうしよう!」


それは、あの日から何日か経った、ある朝の出来事だった。


「ん?」
「私ね、まだこの指輪は隼人から貰ったってコト誰にも言ってないの。だから、コレをさ、二人だけのサインにしない?」


いきなり何を言い出すのかと思えば、何やら可愛い事を考えたものだ。俺が、『何のサインにするんだよ?』と聞けば、は、『ソレはー・・・・・・今度思い付いた時に決めればいいんじゃない?』と、少し照れくさそうに、笑った。


「ったくしょーがねーな、付き合ってやるよ」
「へへへ、照れてるのー?隼人くん」


そう言いながら微笑んだ瞳は、不覚にも綺麗で。俺も、つられて微笑んだ。











結局、そのサインの内容を決めることはなかった。それでも、指輪はしっかりと、サインという任務を遂行し続けた。指輪はいつも、の薬指で、光り輝いていた。

俺はあの日、去ってゆくの背中に、花束のような言葉などは勿論、ただただ純粋な言葉さえ、かけられなかった。ドアの前に突っ立って、後悔を撹拌した問いかけを、繰り返す。何故、追いかけなかったのだろう。何故、口が動かなかったのだろう。 何故、勇気を絞ってでも出さなかったのだろう。

そして、今だって。何故、を追いかけられない?

今追いかけていかなければ、もう二度と機会は無いはずだ。ずっと一緒にいたい。もう、失いたくない。

好きだ・と、伝えたい。










――――――――――サイン、見たんだろ?――――――――――










よく考えれば、今日でなければならない理由なんて。いくら急にあのCDの曲が聞きたくなったからといって、一日も我慢出来ないというのはおかしい。今日より前から聞きたいと思っていたのなら、わざわざ今日、イブの日に来なくてもいい筈だ。 俺の所に来ようと思って来るのなら、いくらあの指輪を気に入っているからといっても、わざわざつけて来るほど、そこまで俺の気持ちに考えが廻らないではないだろう。ただCDの曲が聞きたかったのなら、わざわざ家に上がって2時間も話し込む必要も無かっただろう。だってCDは、そんな高価な物じゃない。何ならレンタル屋で借りても支障は無い筈なのだから。

そう、脳が勝手に、今日のの行動全てを、次々と俺の都合の良いように変換していく。

信じていたと言えば響きは良いものの、結局俺は怠けていただけで。足掻くしか能がない上に怠け癖がついているなんて、笑っても笑えない。ただ、大人ぶって。本当は何回も電話やメール、あわよくば、の家に行こうとした事まであるのに。 いざ本人を目の前にすると、優しく接して、3年間の俺の気持ちは、沈黙の底へ押しやって。何とも、情けなくて。

全ては、ただ、が愛しいだけなのに。そしてこの言葉が、こじつけた理由だとも分かっているのに。


が、好きなのに。


本当は分かってる。ずっと一緒にいたいなら、失いたくないなら、今すぐ追いかけなくてはならないことぐらい。今は、恥じらいだの何だのと、そんなモノは捨て去って、追いかけて、捕まえて、分かりやすい言葉を添えて、伝えなくてはならないことぐらい。との出逢いは、何度も巡ってくるような、そんな単純なモノではないという事ぐらい。





・・・・・・」





自分が思っている程度より、が想像している以上に、強く。





「・・・・・・・・・・・・っ」





自分が持っている才能より、が考えている以上に、速く。

まっしぐらに、愛さなくてはならないことぐらい。


もし、今日という日をが選んで、俺を訪ねたとすれば。もし、CDが口実だとすれば。

閉まったドアは、まだ開けられますか?





B'z:眩しいサイン