「隼人」










記憶の中の筈のの声は、やけに鮮明で、俺は危うく振り向きそうになった。今ここで、の声など聞こえる筈がないのに。










「隼人」










ホラ、また。俺の心を、乱す。










「隼人ってば!」


その大きな声に驚いて、つい、振り向いてしまった。振り向いた俺が真正面に捉えたのは、彼女。


「なっ・・・・・・・!」
「驚いた?」
「・・・・・・いや、それ以前の問題だろ、」


本気で、そう思う。なのに、は、至極楽しそうで。


「何で、・・・ここにいんだよ」


俺に動揺を隠す暇など、体が与えてくれずに、口が勝手に動く。今日、俺の心と体は、別の個体のようだ。


「隼人の家に、ちょっと、用事があって」
「そう、なのか・・・・・?」
「今から行っていい?」


その言葉に、自分の耳を疑う。


「ん、や・・・・・・、いや、別に構わねぇけど・・・」
「あ、不都合ならまた出直して来るよ? いつがいい?」
「や、そうじゃなくて。その、・・・・・・・・・」


だって、今日は、


「その?」
「何で・・・・・・今日イヴだろ?」
「・・・・・・・・・・・」


俺の言葉に、黙って俯いてしまった。俺は何か、悪い事を言ってしまったのだろうか。球の切れかけた外灯がチカチカして、目障りだ。


「・・・フフ・・・・・・もぉ、隼人は・・・・・あはははは!」


暫くして、そんな俺の心配を他所に、は笑い出した。


「大丈夫、予定なんて無いの」
「・・・あ、ああ・・・・・・なるほどな」


微妙に納得した俺に、再び笑う。懐かしい声が、響く。

その笑顔を見て、酷く安心した自分がいた。は、変わっていなかった。髪はショートになっているけど、制服の上にコートを羽織っているのだろう、今日もシャツは白い。その笑顔を見て、酷く切ない自分もいた。あの日を、思い出す。その声が、瞳が、その口調が、あまりにも変わっていなさ過ぎて、心が痛い。





3年という月日の中で起こった出来事を話す、変わらないの声を、俺は、後頭部で聞きながら、時々相槌を打ち、時々笑って、俺の家まで一緒に歩いた。

自分が変わっていない事は、を思い出す度に確認してきたから、厭というほど身に沁みて分かっている。自分だけ取り残された気が、していた。でも、だって変わってはいなかった。見違えるほどに人が成長するには、やはり結構な時間がかかるのだろう。そのお陰で、と言うのも少し変だが、いつの間にかスイッチが入ったように、3年のブランクはあっという間に埋まりつつある。

ただ、一ヶ所を残して。


「隼人の家、変わらないね」
も変わってないけどな」
「そお?髪、切ったよ?」
「髪は、だろ?」


そう言って、二人で微笑む。その度に痛む胸は、必死に無視して。人が成長するには短い3年でも、時間として見れば、相当長かったようだ。話しても話しても、話題が尽きることはない。だから、だろうか。いつもよりも更に、昔が蘇る。も、同じだろうか。もう今は、の心が読めない。

また、胸が、痛む。










「何・・・・・・だって?」
「・・・だから、私、並盛出るの」


それを聞いたのは、卒業式の後だった。信じたくなど、なかった。


「・・・・・・そんな、何で・・・、もっと早く言わなかったんだよ」


俯いているの顔は、よく見えない。


「・・・・・・隼人に言っちゃったら、止めて欲しいって思うから。でも、学校が変わるだけだしさ!絶対、私達なら平気、大丈夫だって思うの。私ね、どうしてもその学校で、私の実力がどこまで通じるのか、やってみた・・・」


そこで、俺はの言葉を遮った。


「おい、・・・・・・・・・・・・なぁ、俺はの何なんだ?何で・・・なんで?何で俺に何も言ってくれなかったんだよ、俺はそんなに信用無ぇのかよ?」
「ちがっ・・・、私は隼人なら分かってくれるって、思っ・・・じゃなくてその、あの、隼人」
「言い訳なんていらねぇ」


自分の声の冷たさに、自分でも驚いた。でも多分、の方が驚いただろう。大きな瞳に、涙が溜まるのが見えた。


「俺は学校違ってても大丈夫だなんて、一言も言ってないじゃねぇか。そっちが勝手に解釈しただけだろ?止めて欲しいなんて思うのは、がそこに行きたくないからじゃねえのかよ!」
 
 
違う、本当は、こんな事が言いたかった訳ではなくて。の新たな門出を、気持ちよく送り出してあげたかっただけで。でも、俺はまだまだ、所詮は子供で。に、行ってほしくなかった。

零れた涙を見て我に返っても、そこで初めて言い過ぎた事に気付いても、後悔しても、それは遅すぎて。


「・・・ゴメン、なさい・・・・・・」


ポロポロと、止めどなく涙は溢れて。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


謝らなければならないのは俺の方なのに、まるで、事を悪い方向へ運ぶかのように、口が、動かない。


「・・・・・・ゴメンなさ、い・・・」


二度目の謝りの言葉を告げた後、は涙も拭かず、俺を見つめた。

と、瞳が、合う。の気持ちが、見える。










―――――――――― ゴメン、ありがとう、ゴメンね ――――――――――










―――――――――― バイバイ ――――――――――










俺は、引き止めなくてはいけなかったのに。は、俺の言葉が必要だったのに。なのに、俺の口は、動かなかった。を赦せるほど、大人ではなかった。でも、を突き放せる訳など、なかった。だけど、を引き止める事は、出来なかった。











それでも、今でも、嫌いな訳などないのに。










「わ、もう2時間も経ってるよ!」


そう言ったの声に、現実へ戻る。


「マジかよ・・・・・・そういえば、用事って何だったんだ?」
「んと、忘れ物なんだけど・・・・・・」
「あー・・・もしかしてあのCDか?それなら、あそこに置いてあるぜ」
「あ、覚えててくれたんだ!」


そんな事など、至極、当然な事で。だってまだ、好きなのだから。を思い出す度に、眺めていたのだから。俺が、忘れる訳など、ないのだから。

ずっと今まで、きっとあの頃から、が、好きなのだから。


「急にこの曲が聞きたくなって、我慢できなかったの」
「そうだったのか。悪かったな、返しそびれちまって」
「ううん!私こそゴメンね、急におしかけて・・・隼人だって彼女サンと過ごさなきゃなのにね」
「いや・・・その彼女がいねぇからこうしてんだけどな」
「あ、そうなの?なら一緒じゃん!」
「おう」
「そっかぁ、なんだ隼人もか! 意外だなぁ!」


そう言って、は笑った。





要するに、俺がに対する感謝を、の心を忘れた所為で、俺達は離れ離れになった。それは、分かっている。だから、待って。もう1つ、俺の言葉を忘れていかないで。CDじゃなくて、本当の忘れ物はそれだろうから。俺が、伝えなければ。

忘れたまま、行かないで。


「長々とゴメンね、お邪魔しました!」


だけどもう、その顔に涙の跡は見えなくて。代わりに、あの日の、でも、今のの、新しい微笑みが浮かんで。瞳は、それでも、俺を、見つめて。

ほら、また、動かない。










――――――――――まだ、行くな――――――――――










ドアが、閉まる。最後に少し、薬指にキラリと輝く指輪が見えた。