あれから2か月と少しが経ち、太陽の光に癒される季節もそろそろ過ぎて、最近はその光が肌に痛くなってきた。少し暑い。職務には完全に慣れた。一日に処理しなければならない仕事は多いけど、重労働ではない。なのにお給料は、毎月以前の会社の3倍ほど振り込まれていて。
しかし思うように外出できないため、以前に比べて使い道がなく、その分、見る見るうちにお金が貯まっていく。バブルだ。私の手を完全に離れ、お金が独りでに動いている気がする。そういった意味で、最近は預金明細を見るのが怖い。
「毎日毎日クソ真面目によく働くよ、は」
「あ、ベル隊長、buongiorno」
「ボスまだ寝てんの?せっかくわざわざ王子が報告書持ってきてやってんのに・・・」
「昨晩は遅くまで飲んでらしたので・・・渡しておきますね」
「んー。あ、ってかさ、あの日本のラッテまた買っといてくんね?何でかすぐなくなるんだよねー」
「え、もう全部飲まれたんですか!?」
デスクに向かってボスの代筆をしていると、すぐ近くからベル隊長の声が降ってきて驚いた。でも、隊長たちは全員そうだ。驚くのにも慣れてしまった。
ベル隊長とは、結構すぐに仲直り(?)した。ルッス隊長曰く、ベル隊長は自分の血を見ると人格が変わるらしい。あの時は、時間も時間なときにフラッと現れたベル隊長に対して、襲われるんじゃないかと要らない心配をして錯乱した私が書類の束を振り回したせいで、
ベル隊長の頬が切れて・・・。後日、ベル隊長が直々に(非常に不本意そうな顔はしていたが)謝ってくださって、とても畏れ多かったけど、嬉しかったのを覚えている。それからは、それまで通り、やっぱり優しく接してくださっていて。牛乳がお好きだと聞いたから、
この間日本で美味しいと評判のものを取り寄せてプレゼントしたところ、ベル隊長はいたく気に入ったご様子。直接美味しいと言われたわけではないけれど、それから何度もこうして取り寄せを頼んでくるあたり、そうじゃないかなと思う。それだけだけど、それもとても嬉しかったり。
ベル隊長だけじゃなく、ボスにも信頼されてきたように感じる。自惚れかもしれないし、ボスは何とも思ってないかもしれないけど。でも、初めは許されていなかった外出も、じきに、幹部の人と一緒ならしてもいいと言ってもらえた。それにこの間なんかは、掃除などのためなら寝室に入ることも許可された。
嬉しい。どういう形であれ、本当のところはどうであれ、殺すでも邪険にするでもなく、こうしてここに置いてくださっていることが。
「、ボスはどこだ」
「レヴィ隊長、buongiorno。生憎ボスはまだお休み中です」
「そうか・・・・・・次の任務の件で話があってきたのだが」
「そうですか・・・では、ボスがお目覚めになったらご連絡いたしますね」
ボスはとても慕われている。幹部をはじめ、構成員や事務員や、屋敷の世話係からも。最近幹部さんたちが暮らす別館への出入りも許可されたから、重要ではない連絡や書類の受け渡しなどで、時々赴いている。そこで、よく質問を受けるのだ。「ボスはどうしている?」と。
ボスは、あまり別館へは行かない。幹部会議はボスの屋敷で行われるし、食事もボスは屋敷で摂る。別館の大広間で行われる誕生パーティーや祝勝会は別として、普段はそういう感じだから、たまに(っていうかよく)幹部の方々が屋敷に食事をしに来る。
ボスは、任務にもあまり行かない。理由は、本人が面倒臭がりなのと、ボスでなければならないような依頼が少ないから、だとか。しかし、スクアーロ隊長には『だがなぁ、が来てからはさらに減ったぜぇ、ボスとはどこまでいったんだぁ?』とも言われ、ひどく赤面したのは一生心に仕舞っておきたい
(だってどこまでもなにも、何もないのに・・・)。とにかく、何かにつけてボスは外出頻度が低い。
「それにしても・・・まだ寝てるなんて逆に体に障ったりしないのかな」
だからというのもなんだけど、ボスと私は四六時中ひとつ屋根の下にいるわけで。ボスは、威厳があるぶん怖いけど、それすら自分のものにしてしまうくらい、その・・・格好いいわけで。ベル隊長との件でそれを再確認した私は、不躾にも、ボスを見るとドキドキしてしまうようになった。おかげで心臓に悪い瞬間も何度かあり、
でもボスは何も変わらずいつものボスで、相手にされていないということはよく分かっている。ボスには色んな方面の素敵な女性からお呼びがかかっていることも、雑務を通して知っている。うん、知ってはいるんだけど・・・
「・・・ていうか、4時まで寝てるなんてさすがにおかしくない・・・?」
時計の針は、もうすぐ午後4時を指そうとしている。いくら昨晩遅くまで飲んでいたにしても、ボスにはよくあることだし、いつもなら昼過ぎには起きているのに。
私は、急に不安になった。やっぱりおかしい。もしかして飲みすぎて調子を悪くしたとか、それか他の原因で起きてこられないとか・・・今まで元気なボスしか見たことがなくて想像しがたいけど、でも、万が一のことがあったら・・・・・・
不安は急速に膨らんで、気づけば私はボスの寝室に向かっていた。向かったところでボスがお休み中なら、中に入ることもできないし入ったらきっと怒られるっていうか殺されるし、お休み中でなくても、私が勝手に不安に思っているだけで特に用事があるわけでもないから、
許可されていない理由で入ることはできない。ノックするのも怖い。寝室のドアの前まで来ておいて、どうすればいいか分からなくなった。
「ぼ、ボス・・・?」
呼んでみたものの、大声を張り上げることができずに、そんな私の声に返ってくる反応は勿論ない。しかし、ドアを前にして、私の不安は大きくなる一方。ボスは強いから大丈夫だという気持ちと、そんな人がもし弱っているとしたらとても酷い状態なんじゃないかという気持ちが、互いに押し合い圧し合いしている。
というよりは、どちらかといえば後者の気持ちの方が優勢で。どんどん心配になっていく。ノック、してみようか。もっと大きい声で呼んでみようか。それでも反応がなかったらどうしようか。勝手に入ったら殺されるだろうか、嫌われないだろうか。どうしようか、大丈夫なんだろうか、ボスは。
何ができるわけでもないのに、そっと、寝室のドアに手をあててみる。
あててみる、だけだったのに、ドアはどうしてか静かに動いた。キィ、と音を立てて、少し開く。鍵が開いている。どういうことだろう、ボスともあろうお方が、こんな不用心なことはない。かけ忘れなんてしなさそうだし、でも現に開いているなんて、今の私にはどうしてもマイナスな想像しかできない。
寝込みを襲われたんじゃないだろうか、もしくは、鍵をかけ忘れるぐらい昨晩泥酔してしまったのではないか、それで体調が優れなかったりするのでは・・・・・・などとぐるぐる考えてしまって、どうしようもなく不安になった私は、ついその部屋の中へ踏み込んでしまった。
「ボス・・・!」
「何だ」
「っ!」
寝室の辺りに気配がしたため向かってみれば、その中にが入り込んでいて、よく分からないが呼ばれたため返事をしたら、至極驚いた顔では振り返りオレを見た。状況把握のために『何してやがる』と問えば、は俯いてしどろもどろになりながら『いえ、少し、心配で・・・』と答えた。
今日は朝から久々の任務に赴いていた。昨晩遅くまでウイスキーをあおっていたオレに付き合って起きていたからか、出かける時間にはまだ起きていないようだった。それが別段任務に関係などはしないから、何も考えずにそのまま出てきたのだが。
「どういうことだ」
「いえ、本当に私の杞憂で・・・勝手にお部屋に立ち入ってしまい、申し訳ありませんでした」
「それはいい。何が杞憂だ?」
「あ、・・・っと・・・・・・それはその、」
逃げ場を与えずに訊けば、より一層は俯いた。その耳がほんのり、いつもより赤い。まあ大体は想像がついていたが、そろそろ確信してもいいだろう。は、オレに惚れている。
あの日、ベルを追い出した後も座り込んで呆けているに、オレはどうしてかキスしそうになった。はいつも背筋を伸ばし、まっすぐ物を見て、悩みのなさそうな面で笑う。そんな奴がボロボロになって涙を流しているのを見て、オレは背筋を這い上がってくるものを感じた。久々の欲情だった。
今こいつをさっきのベルと同じように組み敷いたら、どんな表情をするのだろうか・と思った。が、をここに置く目的はそれじゃねぇ。それに、オレはに興味はなかった。もそうだった。だからこそ、ごまかしたのだ。『塞ぐぞ』という言葉で。
だがしかし、そうも巧くはいかなかった。顎を掴んでグッと引き寄せたのその表情が、“女”そのものだったからだ。今までオレの周りにいた女は、どこから湧いて出るのかしれねぇ確信を持っていた。自分はオレに愛されている・と。そんな女の悦い顔は、飽きるほど見てきている。そのオレが、驚かされたのだ。
自分でも自分の気持ちを把握しきれていない女の、戸惑いがちな熱のこもった表情など、生まれて初めて見た。
「―――すから、それで・・・勝手に行動してしまってごめんなさい。もう仕事に戻りますね」
「・・・ああ」
「失礼します」
そんなことを考えていたせいで、の話は全く聞こえていなかった。ほぼ反射的に返事をすれば、がオレの横をすり抜けて部屋を出ていこうとする。それを見て我に返ったオレは、また反射的にの腕を掴んでいた。
「・・・ボス、?」
また、だ。そこには“女”の顔をしたがいた。頬は赤く、瞳が優柔不断に揺らいでいる。そういや、あの日を除けば、の体に触れるのは初めてだ。細い。七分のシャツの袖口から、緩やかなカーブを描いて腕が伸びている。
ベルの件以来、は何度かその表情をオレに見せた。はじめはオレが無意識にとる行動にが反応していたのだが、次第にオレはわざとに、が反応しそうな態度を取るようになった。何となく、が逐一面白かったのだ。しかし、仕掛けて出させた表情と、不意に見せられる表情とは、
何かが決定的に違う。の顔を見れば、必然的に目が合った。背筋が、また疼く。
「ボス、どうかされましたか?何かございましたら何でも仰って、」
「いや、・・・・・・」
「はい」
「目を閉じるな。よく見とけ。不快だと思ったら、俺を殴ってみろ」
「え・・・・・・」
よく考えて見ればおかしな話だ。いったいどれだけ経ったのかは知らねぇが、今までこんなに長い間誰かにオレの雑務を任せたことはねぇ。世話係にしてもそうだ。オレを恐れて辞めたりオレに消されたりで入れ替わりが激しく、常に知らねぇ顔ばかり。名前を覚えることもねぇ。
もとより、隊員とキッチンの輩を除けば他は邪魔なだけだった。隊員の中にも邪魔なカスはいたが。
なのに、どういう風の吹きまわしだ。確かにこいつは優秀だ。使える。面倒なこともねぇ。いや、今までなら相手がオレに惚れた時点で面倒になることが多かったはずだ。見ているだけで勃っちまいそうな女なら遠慮なく使ったが、そういう奴は後々すぐ面倒になって消したし、
それ以外の奴らはその熱っぽい目を見ることすら腹立たしかった。面倒なはずなんだ。それなのに、なんてザマだ。
「・・・そんなに悦かったか?」
オレの指示通りに目を開いたままの。目を閉じる隙を与えなかったと言った方が正しいんだろうが、そんなもんは知ったこっちゃねぇ。オレは言った、嫌なら殴れ・と。あの時のように顎を引っ掴み、引き寄せてキスをした。そのまま唇を割って、口内を1周なぞり、唇を離した。
の瞳は最初こそ驚きを湛えたが、あとは相変わらず“女”の色を灯していた。自然に口角が上がる。悦かったか・と問えば、はこれまでになく真っ赤になって、『し、失礼します・・・!』と言いながらオレの手を振りほどき、慌ただしく出て行った。
なんてザマだ。そう思うのに、至極おかしい。ひどく矛盾した感覚がせめぎ合っているのにもかかわらず、不思議と気分は良かった。