女は確かに有能だった。ルッスーリアのお節介もあるが、3週間で大体の雑務はこなせるようになっていた。機転も利くようで、別段オレが何を言わずとも書類の文面からオレのスケジュールを推測し、最近は先回りで必要物資の用意をしていたりする。それに、できるのは雑務だけじゃないらしい。 今まではルッスーリアかその辺の世話係がやっていたカフェの用意や酒の管理、隊服の手入れまで、気がつけばしている。しかも、それが全く甲斐甲斐しくないときた。側に人間を置いたことは今までも何度かあるが、どいつも“仕事”を“世話”と勘違いしやがって、すぐ鬱陶しくなって消した。 だが、はどうだ。正直驚いた。

それに加え、はよく笑う。暗殺部隊のアジトで、己の命がオレの手中にある状況にもかかわらず、オレに対しても物怖じせずに、よく笑う。それは以前一度見た反吐の出るような笑みではなく、純粋なものだと、最近確信を持った(確信しただけで理解は到底できねぇが)。 そのせいか、すでに一部の幹部(オカマとカス鮫あたりか)とも打ち解けている。オレの部屋は他の隊員とは(幹部とすらも)別の敷地に置かれていて、幹部のみがこっちに来れるにしても、毎日顔を合わせるわけじゃねぇ。しかも、オレも含め幹部クラスの人間は、 今まで何人ヒトを殺してきたか分からねぇような連中だというのに。そんな状況でだ。全くもって解せねぇ。自分の立場が分かってるのか分かってないのか、全く判らねぇ。



「ボス、お出かけでしたら、玄関のお車を」
「・・・・・・」
「今日は雨ですから」
「・・・ああ」



ボンゴレの会議に赴くべく、コートに袖を通していたら、デスクから顔を上げたが言った。オレが温く返事をすれば、は笑った。やっぱり解せねぇが、もう慣れた。『遅くなる、好きな時に休め』とだけ言葉にして、オレは部屋を後にした。


***



ボンゴレの会議は長い。今日のそれも例によって長く、屋敷に戻ったのは0時をまわった頃だった。任務帰りとはまた別の疲労感にうんざりしながら、自室へと向かう。

あと少しで自室、というところで、廊下に一筋光が漏れているのに気づいた。オレの部屋のひとつ手前、の部屋だ。まあまだ起きていても時間的には違和感がないのだが、その光の筋がやけに気になった。気配がするのだ。以外の、これは、ベルフェゴール。



「ボスの妾がどんな奴か気になって来てみたけど、マジつまんねぇなおまえ」
「ベルさ、・・・離、し」
「弱すぎ、かわいくねーし、一般人だろ?おまえそんなんでボスの側になんでいれるわけ?」
「・・・っ、おね、がいで・・・す」
「立場分かってないね、王子にお願いしてもムダだってのに。マジムカつくわ」


気配を殺して、不用心なドアの隙間から見てみれば、部屋の奥の方でベルがに馬乗りになっているのが見えた。男と女のことならとやかく言うつもりはねぇが、そんな甘い雰囲気でもねぇ。部屋の中が、ベルの殺気でピリピリしている。相当キてやがるな、あのガキ。


「どーせ悲劇のヒロイン気取ってんだろ、あーウゼー、王子は助けてやんねーよ」
「、ち、ちがっ・・・」
「ボスの仕事手伝っといてなにが違うんだか。オレらが何やってるか分かってんのー?人殺しだぜヒトゴロシ。ボスの下にいる以上、おまえも立派な人殺しだよ。ヒロインなんかぜってーなれないの、お前は!うしし!」
「っ・・・!」
「あれー?やっと気づいたの?やっぱバカじゃん!王子バカ嫌いー、よって死刑けってー!王子優しいからお望みどおり悲劇のヒロインにしてやるよ、って、」
「・・・人殺しか、ハッ、その通りだな」


振りかざしたベルの右手を掴んでそう言えば、奴は『げ・・・・・・ボス、帰ってたなら言ってよ』と零しながらオレを見た。その頬に、一筋傷が入っている。これか、こいつがキレた訳は。最近マシになってきたとマーモンが言っていたが・・・何にせよ人様の屋敷で暴れやがって、クソガキ。

の方は、完全にベルの殺気にあてられているようで、浅い呼吸を繰り返しながらオレを見ていた。泣いているところを見たのは初めてだ。一応抵抗はしたんだろう、服も髪も化粧も酷い様だった。



「何してやがるドカス共、ここはオレの屋」
「はいはい分かってるって、ちょっと暇潰ししてただけだし、そんな怒んないでよボス」
「暇潰しでマジになってんのはどこのどいつだ、ガキ」
「・・・・・・王子はもう眠いので帰りまーす、じゃねボス」
「うるせぇ消えろ」


ボスが現れるやいなやベル隊長は私の上から退いて、何の後腐れもなく笑いながらそそくさと去っていった。私はといえば、ボスの手前何とか上半身だけは起こせたものの、腰が抜けていて立てない。それに、頭の中もぐちゃぐちゃだ。

ベル隊長とは、今日初めて会ったわけではない。でも、スクアーロ隊長やレヴィ隊長に比べれば、この屋敷に訪れる回数が極端に少ないから、ボスとお話しているときに少し気にかけてもらったり、廊下ですれ違う時に少し世間話をしたりする程度でしか接したことはなかった。でも、 ベル隊長も他の隊長さんたちと同様に、いつも、ボスがいなくても優しかったのに。悪くは思われていないと、思っていたのに。自惚れだったのだ。

それに、さっきベル隊長が言った言葉が、ぐるぐるぐるぐる回っている。人殺し。ヴァリアーの人たちの仕事は、ルッス隊長に教えてもらう前から何となく分かってはいた。分かっていたけど、でも、今思うと分かっていたつもりだったのかもしれない。だって、任務帰りでも、報告に来るときも、みんなとても綺麗で。 一緒にコーヒーを飲んだり、ふとお菓子を差し入れしてくれたり、私の挨拶に反応してくれたり、とても優しくて。任されている書類整理の中に暗殺依頼書とかも含まれてはいるけど、どこか遠い話だった。でも、思い返してみればここはやっぱり暗殺者のアジトで。 ボスにいたっては、現に私の目の前で人をころしたことがある。そのボスの下で、私は働いている。お給料まで貰ってしまっている。立派なヴァリアーの一員。人殺し、だ。私も。



「・・・・・・いつまでそうやってるつもりだ」
「あ・・・わ、わたし、」
「職務怠慢か?その気なら消すぞ」
「・・・!ち、ちが・・・」


ボスが帰ってきているのに、目の前にいるのに、この体たらくは何だろう。立てない、涙も止まらない。お出迎えして、疲れてるだろうからシャワーと軽食の用意もしとかなきゃ・って、思っていたのに、何もできてやしない。それどころか、助けてもらってしまった。わたしもひとごろしなのに。 不甲斐ない見栄と、きれいでありたい自尊心と、殺されたくない利己心が、またぐるぐるする。


「す、すいません、今すぐシャワーの用意を・・・」
「立てねぇのにか」


ボスには全部お見通しだ・と、それも分かりきっていることだ。今の私が全く役に立たないことだって、全部。最初の頃はそれこそ恐々としながら過ごしていたけど、最近はやっと慣れて、それにみんなが優しいから、ボスだって乱暴で素っ気ないだけで本当は優しいんだ・とやっと分かってきたから、楽しくなってきていたのに。 もう、捨てられる、消される、いやだ、


「チッ・・・ガキの戯言ぐらいで一人前に怖気づきやがって。オレに生かされてることを忘れんなよ。テメェには人殺しになれるほどの身分なんざねぇ。分かったらとっとと着替えてこい、見苦しい」


ボスが少し早口にそう言って、私は驚いて絶句した。ついでに涙も止まった。ボスを見上げる。涙目なのと、シャンデリアの眩しさで、ボスの顔はよく見えない。

もしかしなくても、さっきの言葉はボスなりの優しさだ。まだボスと出会って3週間しか経っていないけど、分かる。だからこそ絶句した。役に立たなくなっている私に、ボスがあんな言葉をかけてくださるなんて。どうしてだろう、止まった涙が、また溢れそうだ。



、聞こえねぇのか?」


上からボスの声が降ってきて、はっと我に返る。ああそうだ、着替えて来いと言われた。見苦しいとまで。頬を傷つけてしまったベル隊長には申し訳ないけど、怖くて本気で暴れてしまったから、きっと今の私はひどい有様だ。どうしよう、そう思った途端、ものすごく恥ずかしくなってしまった。 とりあえず見えるところだけ手で素早く直す。


「え、あ、そのごめんなさい!そういうわけじゃな・・・」
「なら馬鹿みてぇに口を開くな、塞ぐぞ」
「・・・・・・!」


ぼんやりとしていたボスの影がぐっと近づいて、男の人の力で顎を持ち上げられて、目の前にボスの紅い瞳がはっきり見えた。不覚にも、いや、前々から整った顔立ちの人だとは思っていたけど、どくんと心臓が鳴る。かあっ、と顔に血が集まるのを感じて、とてもじゃないけど居た堪れない。かといって抵抗もできない。

されるがままで固まった私に、ボスは一瞬目を見開いて、それからパッと離れた。いつもの声色で『シャワーを浴びる』とだけ残し、部屋から出て行ってしまった。

全身の力が抜けて、へなへなと私はまたへたり込んでしまった。ボスは怒ったかもしれない。励ましてもくれたし、叱責もしてくれたのに、私は結局何もできなかった。何もできなかったどころか、改めて近くで見たボスの顔に、ときめいてしまった。キス、してほしいとおもってしまった。最低だ。 ベル隊長とのことなんて、ものの見事に吹き飛んでいた。