二、千種と犬

僕と髑髏が家の二人と共に暮らし始めてからも、僕はボンゴレから犬と千種の情報を欠かさずに仕入れていました。そんなことをして二人の何になるのかと問われると、僕は何も答えられません。実際何もできませんし、それまでにできた例もなかった。 髑髏を介して意思疎通は図れたものの、ただそれだけであり、ボンゴレとの戦いといい、十年前のヴァリアーとの戦いといい、ミルフィオーレとの戦いといい、僕が彼らに負担をかけ続けてきたことに変わりはないのです。しかし、 それでも僕は傲慢にも彼らが気になって仕方なかった。まだ彼らを見守っていたかった。いや、彼らに気付いてほしかったのかもしれません。何を・と問われると、これもまた僕自身、未だに分からないのですが。

二人は当時、イタリア南部でどこのマフィアにも属さずにいました。何をして食べていたかというと、掃除人。依頼人から申し付けられた人物を、全てを闇に包んだまま秘密裏に殺るという職種の人間を、僕たちの世界ではそう呼びます。言わば、 所属のない特殊暗殺部隊のようなもの。二人は上手く仕事をこなしているようでした。しかも、僕がボンゴレにいるからか、それとも以前の件に少なからず恩を感じているのか、ご丁寧にボンゴレファミリーに対する依頼は全て断っている様子。 そんな気遣いなど僕は要らないと思うのですが、まあ向こうには千種がいますから仕方ないでしょう。ともかく、二人が良くしている気配が感じとれれば、僕はそれで安心でした。



しかし、ついこの間入った情報の中、彼らの順調な仕事振りの間に紛れて、千種の神経衰弱があったのです。それは見落としてしまいそうなほど簡潔に綴られていて、僕は一瞬腹が立ちました。が、すぐにそれは狼狽へと変わりました。内容はこうです。

『依頼事項の成功率がほぼ百パーセントの柿本・城島両名の知名度は上昇している模様。それにつれて依頼件数・難度も共に上昇。両名に多少の体力的疲労の色有り。また柿本には神経衰弱の症状も見受けられたが、 仕事の忙しさによる一時的なものと思われる。』

千種は確かに、幼い頃からきっちりとしていました。口先ではよく面倒だと零していましたし、実際大抵のことを面倒に思っていたようですが、それは彼の性格がきっちりしているために何事に対してもベストを尽くしてしまい、結果費やさなければならない労力が増え、 それを思って彼は面倒だと言っていたのです。千種は一見怠惰であるように見えて、実は人一倍“精進”という言葉が似合う男でした。今もそうです。
そんな彼のことですから、今の仕事も手を抜くはずがありません。忙しくなり、気を抜く暇もないのでしょう。しかし、僕が知る千種は、そんなことで一々神経衰弱などにはならなかった。僕が彼らと過ごした時の中にも、とにかく忙しく、 精神的に追い詰められた時期はありました。ですが彼は、体力こそ摩耗していたものの、いつも気はしっかりと持っていました。神経をすり減らしていたのは逆に犬のほうで、むしろ千種は生き生きとさえしていました。千種は、すべきことがある内はするのです。 すべきことが無くなれば、即座に次のすべきことを見出してするのです。千種はそういう男です。

すべきことはある。しかし、千種の精神状態が芳しくない。これはきっと何かあったに違いない、そうでなければ、ボンゴレの報告ミスであるはずだ。僕はそう思いました。そしてすぐ、ボンゴレ十代目から直に話を聞こうと決めました。



その日の仕事を早めに切り上げて、僕はボンゴレ十代目の居る部屋へと急ぎました。彼の部屋へは幾多の仕掛けをかいくぐらなくてはいけないのですが、その時の僕にはそんな暇などなかったので少々手荒な真似をしてしまいましたが、 それは後から僕のほうで工面したので心配には及びません。

とにかく目的の部屋までたどり着いた僕は、苛立ちをそのドアにぶつけながらその部屋の中へと踏み込みました。そんな僕を、ボンゴレはいつもの微笑みと声色で迎えたのです。本当に相変わらず面白い人だ・と、僕はその時も思いました。


「来ると思ってたよ、骸」
「‥‥では、僕がここへ来た目的も既にご承知と」
「ああ」
「それならば話は早い。ボンゴレ十代目、あの報告は事実ですか」


その問いかけに、ボンゴレは目を伏せて考えるような仕草を見せました。暫くそうした後、ゆっくりと僕を見据えたボンゴレは、気まずそうにポツリポツリと話し始めました。


「‥‥俺の信頼している部下からの報告だ。事実、だろう。そして恐らく、事態はもっと深刻だ。原因ははっきりしていないが、俺もお前と同じく、柿本の神経衰弱は仕事の忙しさからくるものではないと思ってる」
「では何故」
「骸、お前が来るのを待ってたんだ」


何故などと訊いたところで、返ってくる答えは判りきっていました。千種たちはどのファミリーにも属さずに行動しているので、ボンゴレがここで公に手を貸すわけにはいかないのです。ただでさえボンゴレファミリーの者の掃除依頼を拒否している千種たちですから、 ボンゴレが下手に動けば千種たちとボンゴレとの裏の繋がりが懸念され、彼らの信用度に関わってくることは明白です。だからボンゴレは僕の言葉を遮って、そう言ったのでしょう。その語調には神妙な響きがありました。彼が本気で話しているとき独特の響きです。

しかし、ボンゴレの期待に応えるだけの冒険心は、僕は持ち合わせていませんでした。


「‥‥今更僕にできることなど、何もない」
「お前だからできることがあるんだ」
「何度も言わせないでください。何もない。だからここに来たのです」
「お前こそ何度も言わせるな。俺たちは迂闊に動けないし、あの二人はお前にしか心を開かない。お前が行くしかないんだ、骸」
「ボンゴレ、あなたはもっと理解のある人だと思っていた。どうやら思い違いだったようです」
「‥‥骸、何を怖れてるんだ」


僕はハッとしました。僕が何を怖れるというのか、馬鹿にするな・と、僕は即座に言い返すべきでした。しかしできなかった。その言葉があまりにも予想外で、それにもかかわらずあまりにも現実的だったからです。図星でした。僕は怖れていたのです。

今まで散々勝手をして彼らを傷付けてきたのは、紛れもなく僕です。それでも僕について来る彼らを嘲笑うかのように、彼らに次々と災難を降りかけてしまったのも、僕以外の誰でもありません。そんな僕が彼らの元へと向かったところで、何になるでしょう。 また彼らに災いをもたらすかもしれません。その前に、賢明な彼らに拒絶されるかもしれません。そのどちらも僕は嫌だった。怖れていた。だから僕は、彼らの所へ向かうという決断をいつまで経っても下せなかったのです。