誰もいない海岸通り、防波堤はそんなに高くない。見下ろせば、白いなんてお世辞でも言えたもんじゃない砂浜。見渡せば、夕日を弾いて汚れた銀色の大海原。と二人で歩く、この風景というか雰囲気が好きで。防波堤の上を、両手を広げてバランスをとりながら歩くに、『落ちても知らないよ』と、声をかける。すると、自分の身長より大分高い位置にあるの口から、『アタシは大丈夫だよ、落ちないもん』という声がこぼれた。 「落ちないなんて誰が決めたの」 「それはねー、アタシかな」 「・・・・・・・・・・・・・」 「こらっ、お、押したらダメ落ちる!」 『ホラ落ちるんじゃん』と、太陽に負けじとを見上げると、は『あのね、外部からの力は計算に入れてないの』と笑った。 正直、ていうか前から何度も言ってるんだけど、防波堤の上を歩くのは勘弁してほしい。海辺は風が強いし、はふらふらと危なっかしいし、その上でいきなりしゃがんだり立ったりするし、スカートの中だって見えそうで(俺以外の奴に見られたらどうするの、許さないよもそいつも)、俺の心臓を止めたくてわざとやってるようにすら思える。下は砂浜だから落ちても大丈夫だとは思うけど、は変な落ち方をしそうだ。だから何度も何度もやめろって言ってるのに全然聞かない。でも、無理やり降ろせばいいのかもしれないけど、が楽しそうで、だから気が引ける。(女々しくて反吐が出そうだ) どうやったらがそこから降りる気になるかを考えていると、当の本人が『どうしたの?難しい顔してるよ』と言う声がした。不覚にもその声が近くにあって、驚いてそっと振り返ると。防波堤の上でしゃがみ、こちらを向いていると目が合った。 「・・・、早く降りなよ危ない」 「えー、だって気持ちいいんだよ?この上」 そう言って、は思いっきり立ち上がった。危ないのにああもう・と思って注意しようとした瞬間、不幸か不運か強い風が吹いて。俺の心臓は凍りついた。 風が、驚いたの体をさらう。 「!」 伸ばした手は、を掴むには短すぎたようで。別に今掴む必要のない空気だけを、そっと引っかいた。の体が徐々に防波堤の向こう側へと消えていく。が、だんだん見えなくなっていく。 イヤだ、そんな事は赦さない。 「えへへ」 「・・・・・・えへへじゃないよ」 誰もいない海岸通り、防波堤はそんなに高くない。黄色い砂の上にへたり込んだまま、は笑った。 「前から言ってたじゃん」 「ゴメンね千種」 「危ないんだって」 「ごめん、」 「・・・いきなり立ったら危ないってアレほど言ったのに」 「忘れてたんだって・・・!」 ダメ、何を言ってももう許さない。あの一瞬の間に、どれだけ驚いて心配したか、がちゃんと理解するまで。心臓が止まるなんてもんじゃない。もう二度とあんな一瞬はゴメンだ。一体・・・・・・もう、ばかだなは。 一度言った事ぐらい、自分の安否に関わる事ぐらい、ちゃんと頭に入れておいてほしい。毎度毎度のその行動に、この心臓がどれだけ反応しているか、きちんと分かっててほしい。、自分の男の心境ぐらい察してよ。 「ばか」 「ぅ・・・・・・・・・・」 「ホントばか」 「・・・・・・ゴメンって」 防波堤に片手をついて、足を軽く踏み切る。が落ちた、その少し右側から、黄色い砂浜めがけて、に『ばか』を連発しながら飛び降りた。着地の衝撃で靴の中に入った砂を取り除きながら、の隣にしゃがみ込む。すると、心なしか泣きそうになっていると目が合った。 「・・・・・・何で泣きそうなの」 「・・・・・・・・・・」 「黙ってたら分からない」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・ばかって言ったから?」 そう尋ねると、は微妙に頷いた。確かに言い過ぎたかもしれないけど、でもも悪い。罪悪感がない訳じゃないけど、怒りと呆れの方が強い。謝ろうとは思うけど、それならにも謝ってほしい。心配かけた、罰。 「言い過ぎたのは謝る」 「・・・・・・・・・・」 「でも、はまだ全然分かってない」 「・・・ゴメン」 「俺が・・・どれだけビックリしたか、どれだけ心配したか、分かってる?」 「うん・・・・・・」 「ホントに?」 うつむいて、全くこっちを見ようとしないにやれやれと思いながら、綺麗になった靴を履きなおして、そっと立ち上がる。驚いたが少しだけ、顔は上げないもののこっちを向いた。 「立てる?」 「・・・うん」 「帰るよ、ホラ・・・」 「ばかだよ、千種も」 『帰るよ』と言ってすぐに、に背を向けて歩き出してたもんだから、『ばかだよ』と言ったの声が聞こえるまで、彼女が来ていない事に気付かなかった。今度は意外にも遠くから聞こえたその声に、聞き捨てならないその言葉に、呆れつつも驚きながら、夕日とがいる方へ振り返る。 「アタシもばかだと思うけど、千種もばか」 「・・・・・・何言ってんの、行くよ」 「だって、アタシちゃんと分かってるもん」 の理解不能な台詞回しには慣れたつもりだったけど、どうやら彼女は一筋縄じゃいかないらしい。『何が?』と問えば、少しはにかんだが言った。 「千種が、アタシを愛してくれてるってコト!」 誰もいない海岸通り、ホント、他に誰もいなくて良かったと思う。こんな恥ずかしい台詞をこんなでかい声で口にするなんて、信じられない。顔が、心臓が、脳が、体が、火照る。 「ばか呼ばわりするのも、いつもは寡黙なのに今日はいっぱい喋るのも 分かってるよ全部、愛されてるなって思う」 自分の顔まで赤くして微笑みながら、口調は真面目にそんな事を言うから。実際が言っている事はあながち間違いでもない(気がする)から。不覚にも、心臓がはねている。体が動かない。 「私が危ない事したら心配してくれる、それが嬉しかったの」 『でも今日のはさすがに落ちると思わなかったけどね』と、もう半分も沈んだ夕日を背景に、は両手を大きく広げて見せた。 ばかだな、もう。 「もうやめて、帰るよ恥ずかしい」 そう言いながらに近付けば、は『えー、もう?』と不満そうに、でも笑いながら、そっと手を繋いできた。 はばかだと思う。そして、俺自身も。別ににバレないようにしていた訳じゃないにしても、やっぱり面と向かって心中を悟られると恥ずかしい。それでもやっぱり、矛盾してるのは分かっていながら、心の奥ではきっと、こうやって気付いてほしかったのかもしれないと思う。それを、自分でも気付かなかった気持ちを、に気付かされるなんて。 「」 「なぁに?」 「・・・何でもない」 このままずっとといれば、きっともっとばかになっていくんだろう。でも、もうそれでも構わない。だってもばかなんだから。悔しいから、もっとばかにしてやるけど。 誰もいない海岸通りを後にして、沈んでしまった夕日のぬくもりを密かに抱えて、繋いだ手を少し大げさに振りながら歩くを、この目に焼き付る。久しぶりに、とても満たされたような感覚を覚えた。 ばかだな
(ちくさの一人称って僕ですか俺ですかミーですか、梧は俺がいいです) |